第九話      ファーストキスは、パクチーの味。






「デートじゃないよ」

丞は、あっさりそう言った。
睦月はほらな、とばかりに鈴代の方に向いたが、鈴代はその言葉を聞いてもまだ納得していない様子だった。
だって、と口を尖らせる鈴代を見て、丞は優しく微笑んだ。
どうして微笑んだのかわからず、鈴代はますます眉間に皺を寄せる。

ここは鈴代の家。
そして、鈴代の部屋。
丞は以前から何度も鈴代の部屋には入ったことがあったから構わないが、睦月が来るのならちゃんと掃除しておけばよかった、と鈴代は後悔していた。
つい最近まで不良まっしぐらだった鈴代にしては、案外普通の質素な部屋である。
派手でもなく、整頓されているわけでもなく、特徴を挙げるべくもない本当に普通の部屋だった。
丞は当たり前のように、鈴代のベッドの上にあるオレンジのドット柄の布団の上に遠慮なく寝ころんだ。
睦月は興味津々に鈴代の部屋を見回している。

「あんま見んなよ!散らかってんだから」

「うん、そうだね」

「丞に言ってねーよ」

丞はベッドに寝ころんだまま、本棚に手を伸ばして適当に漫画を手に取る。
そして当たり前のようにそれを読みはじめる丞を睦月はじっと眺めていた。

「へえー、なんか丞って鈴代ん家に馴染んでるね」

「まあ、昔からの付き合いだから。今日は片付いてる方だからね、この部屋」

「黙ってろ丞っ!」

ベッドに寝転んでいる丞に一蹴り入れる。
丞が痛ってーと呟きながら、ベッドの上を転がる。
その時、鈴代は丞が笑っていることに気付いた。
いや、別に笑ってることに不思議はないんだけど。
なんだか、今日の丞はやけに楽しそうで、機嫌がいい。

「つかさ・・・デートじゃないんならなんだったんだよ」

「え、参考書探し」

「あ、俺らと一緒だ!」

いぇーい、と意味無くハイタッチする二人を横目に鈴代は表情を曇らせる。

なんか違う。
なんかおかしい。

でも何が、と聞かれれば答えられない。
鈴代は丞の方をじっと見つめるが、丞は漫画を読んでいて鈴代の視線には全く気付いていない。

だいたい、今まで白鳥美海と一度も出かけたことなかったのに何で急に。
それに睦月が白鳥美海の事好きなのに、何で黙って二人きりで行くんだよ。
そこは睦月も誘ったりして気をきかせたりできるんじゃねーのかよ。

でも浮かぶ疑問はどれも曖昧で、鈴代が自分でとってつけたようなものにしか思えなかった。
胸のあたりがモヤモヤする。
別に自分が直接関係しているわけじゃない。
だから、あんまり首をつっこむのもよくないと思う。

でも。

・・・でも、って何だよと自分にツッコむ。
昔から丞を知ってる。
ずっと一緒だった。
だから、なんか違うんだ。
最近、丞変だよ・・・

その時、ふと丞と目があった。
すると丞は何かを思い出したように、ベッドの下に脱ぎ捨てられた自分の上着のポケットを探りはじめた。
そして見覚えのある黄緑色の袋を取り出す。

「ハイ、鈴代。んまい棒」

「んだよ、今出すんじゃねーよ!!」

「え、何で」

「そういう流れじゃねーだろが!」

「パクチー味でよかった?」

「はあ?!てめー私がんまい棒の中でパクチーが一番嫌いって知ってんだろーが!!そこはみたらし味だろ!!」

「だって白鳥がパクチー味がいいって言うから」

ハタ、とわかりやすく鈴代が固まる。
そうしてゆっくり睦月の方を振り向けば、睦月は全くこちらを気にしていないようで漫画に夢中になっていた。
ふと、二人が自分を見ていることに気付いて睦月が顔をあげる。

「え、何?」

「いや・・・」

鈴代は気まずそうに頭を掻く。
そうして丞から受け取ったんまい棒を机の上に置いて、鈴代は部屋の扉を開けた。

「どこ行くの」

「・・・ちょっと飲み物取ってくる」

鈴代はこちらに背を向けたままそう言って、鈴代は部屋を出て行った。
途端に部屋には沈黙が訪れる。
丞はしばらく鈴代が出て行った部屋の扉を見詰めていたが、やがて自分が手に持っていた漫画に視線を戻す。
すると、突然睦月が口を開いた。

「・・・丞」

「何?」

見上げると、そこには睦月の顔があった。
何故か睦月の持つ漫画は閉じられている。
この短時間で読み切ったはずはない。
丞は首を傾げた。

「白鳥って、パクチー派なんだな」

「・・・。」

真剣な顔でそう言う睦月を丞は無言で見つめる。
どうやらその言葉に何かを探る裏はないようで、丞はため息をついた。
だがそれにさえ睦月は気付いていない。

「パクチー派ってなかなかいないじゃん。結構んまい棒の中でも個性的な味だからさ。そっかーパクチーかーそっちかー」

睦月は新しい発見に心から喜んでいるようだ。
丞はそんな睦月を無表情で見つめる。
その顔にさっきまでの上機嫌な様子はなく、その無表情の裏に何があるのかは察しがつかない。

「ちなみに丞は何味派?」

「・・・ワサビ味と、コーヒー(ブルーマウンテン)」

「マジか!やっぱ大人だな〜。俺、小さい頃コーヒー(グアテマラ)食ったけど駄目だったわ!」

睦月が、一人笑う。
笑い声が部屋に響く。
丞が全く笑わないのを、睦月は何とも思わないらしい。
裏のない笑顔。
それを見ると、丞は何とも言えない感情に駆られる。

「つかそういえば俺、パクチー食べたことない!」

屈託のない笑顔を、睦月は丞に向ける。
丞は、睦月の方を見ないまま無愛想に言った。

「じゃ、食べれば」

「おう!!」

そこは何の抵抗も無く食べるんだ、と丞は鈴代の放り投げたままのんまい棒を普通に開けて普通に食べる睦月を見つめる。
しかし、一口食べてまもなく睦月の表情から笑顔が消える。

「・・・パクチー?」

「・・・パクチー。」

どうやらパクチー味は睦月の舌には合わなかったようだ。
だが、何の意地か睦月は苦渋の表情を浮かべながらもんまい棒を食べきった。
やはり、白鳥美海が好きな味だからだろうか。
そんな単純で純粋なところは、互いに似ている。

「やっほー!!」

その瞬間、突然部屋の扉が開く。
そこに現れたのは、中等部の制服を着た女の子。

「久しぶり〜丞くーん!」

「久しぶり、花代かよちゃん」

「あれ、こっちはダレ?」

花代かよ、と呼ばれた女の子は睦月に興味深々に歩み寄る。
睦月は無意識に後ずさりした。

「桜井睦月。俺と鈴の友達。睦月、この子は・・・」

「武長花代かよです!ぴっちぴちの十四歳でーす!」

「たけなが・・・って事は、まさか鈴代の妹だったり・・・」

「イエース!オフコース!」

睦月はまじまじと自分の目の前に立つ女の子を見上げる。
長い髪をツインテールにし、目もぱっちり、まつげも長い。
スカートは極限まで短くされ、軽く着崩されている制服を見る限り品行方正とは言えない。
だが、鈴代と似てるか似ていないかと言われれば、顔は似ているような気がする。
だがこのハイテンションとツインテールが、どうも鈴代と合致しなかった。

「へ〜鈴代って妹いたのか・・・」

「あんまり似てないってよく言われマース!」

「あー・・・うん、わかる」

はは、と苦笑気味に微笑む睦月に、突然花代は顔をぐっと近づけた。
睦月は思わず飛びのいてしまったが、花代は気にせず迫り続けた。

「えっ、ちょっ、何?!」

「よーく見るとー、オトコマエ?」

超至近距離で花代はにっこりとほほ笑む。
笑顔のひきつる睦月の両手を、突然ガッシリと掴む。

「私達、付き合ってみよっか!」

「・・・はい?」

流れについていけていない睦月にもお構いなしで、花代は何の前触れもなく睦月に口づけた。

「・・・・わあ!!」

あまりにも突然の不意打ちに、睦月は顔を紅潮させて後ずさった。

「お、俺のファーストキス・・・」

虚しく語尾が消えた睦月の呟きにも、花代はケロッと慣れたように微笑んで対処する。
だがしばらくして、花代は微笑むのをやめて首を傾げた。

「なんか変な味の粉ついてる〜」

「多分、それパクチーだよ」

その声を聞いて、やっと睦月は丞の存在を思い出す。
だが、睦月が助けを求めるより早く花代が、巻き込まれないよう部屋の隅でおとなしくしていた丞の方を振り返った。

「丞くん、証人!!」

「ん」

「えっ、ちょっ、丞!うんって」

「わッ、花代何してんの!!」

ふと扉の方を見れば、コップを三つのせたトレイを持つ鈴代が目を丸くして立っていた。
花代と睦月の至近距離に、鈴代は何事かと丞に説明を求める。
だが、丞の方は無表情のまま鈴代の無言の問いかけに応じるつもりはないようだった。
すると、花代がすくっと立ち上がり、鈴代に手をふる。

「お姉ちゃん!私、この人と付き合うことになったよ!」

よくぞトレイを落としてガッシャンというベタな展開にならなかったと思う。
だが、鈴代の心はまさしくそれだ。
鈴代の脳内だけで、コップの割れる音が響く。

「えっ」

思わず、声が漏れる。
誰かが否定するのを待ってみたが、丞の方は無言のままだし、睦月は何故かフリーズしている。
そして少し遅れて、鈴代の手からトレイが滑り落ちた。

「嘘でしょーーーー?!」