第八話 なにがどうしてこうなった!?
「え」
丞の言葉を聞いて、白鳥美海の表情には困惑というよりは、呆然としていて感情が追い付いていないようだった。 さほどの沈黙もできぬ間に、丞は白鳥美海を真っ直ぐ見据えたまま再び口を開く。
「一日だけ」
「一日?」
白鳥美海はきょとん、として首を傾げた。 丞は、ゆっくりと頷いた。
「俺と白鳥が仲いいところを見せつければ、霜月も動くんじゃないかなーって」
「ふんふん」
「睦月によれば、明日は霜月は午後は駅前の本屋巡りに行くって言ってたから」
「うん・・・そういうことならいいよっ」
白鳥美海は一瞬戸惑いを見せたが、思いのほか丞は彼女に信頼されているらしい。 そうして二人は携帯を取り出して互いのメールアドレスを交換した。 日も暮れてきたので、二人は一緒に図書室を出た。 誰もいない、明かりもついていない薄暗い廊下を二人で歩く。 はたして今の自分たちはカップルに見えるだろうか、と客観的に考えてみるが、あまり想像はできなかった。
「そういえば、相模っちの恋愛相談じゃなかったの?」
「んー」
「相模っちの恋も応援してあげるのに」
「駄目だよ」
「えーなんで?」
白鳥美海が可愛らしい顔をして背の高い丞を見上げる。 なるほど、これは睦月も落ちるわけだ、とその無防備な唇や手足に目がいってしまう。 丞は口の端でくっと笑って、無防備の彼女とは対極の不敵な笑みを返した。
「楽しくないじゃん」
「おい、ちょっと今日人多くねえか?」
「なんか近くのデパートで閉店セールやってるんだってよ」
休日の昼下がり。 鈴代は、睦月と二人で街中に来ていた。 とは言っても、デートをしているわけでもはたまた遊びに来たわけでもない。 大体、学校でつるんではいても実は睦月と二人きりでプライベートで遊んだ事は一度も無い。
「あーあ、せっかくの休日になんで参考書探しなんかに付き合わなくちゃいけねーんだよ」
「人は多い方がいいだろ!」
「霜月くんも誘ったんだろ。学年二位の弟くんだけで充分じゃねーか」
「あいつは歯医者があるから3時からしか無理って言うし」
白鳥美海に近づく為にテストでてっぺんをとるとかわけのわからないやる気を出している睦月は、今まで見た事も触った事も聞いたことさえもなかったサンコウショを買う為に街へ繰り出したのだ。 そして鈴代は参考書探しの人員補強の為に休日にわざわざかりだされたらしい。 珍しく休日に誘ってくるから少し期待してみれば、それはあっけなく裏切られた。 文句を言う鈴代にぶーと睦月が口を尖らせる。 それを横目で見て思わずきゅんとしてしまうが、紅潮した顔を紛らわすように鈴代は慌てて周りを見回した。
「あっ、あそこ!あそこ本屋あるぞ!」
「あ、ほんとだ!行くぜ!」
「おっ、おう!」
初めて入ったその本屋は、予想よりも意外に広かった。 鈴代がいつも漫画を買っている近所の庶民的な本屋より、遥かに都会の雰囲気があった。 あまりに広いので、天井から吊るされている看板を見ても一体、参考書がどこにあるのかさっぱりわからない。 そしてそれは隣の男も同じらしく、鈴代よりもおろおろとうろたえていた。
「俺、漫画買いに来た事しかねーから参考書の場所とか知らねえ!」
「うん、私もだ・・・」
「オイオイ、俺等似た者どうしかよ」
思わぬ睦月の嬉しい発言に、鈴代は再び頬が染まりはじめる。 休日のお出かけだからか、今日はやけに顔が火照りやすい。 睦月が私服姿なのも多分、理由の一つだ。
あー!!うろたえるな鈴代!! いつもの鈴代で行け!!
「あ、あそこに中学入試って書いてある!」
「いや、私達もう高校生だし」
「でも勉強関係はあそこらへんだろ!よし、行くぜー!」
ひゃっほうと静かな本屋で奇声をあげて走り出す睦月のあとを、店員にすみません、すみませんと頭を下げながら慌てて追いかける。 やはり睦月の読みは当たったようで、入試関係の棚のすぐ隣の列にテスト対策の参考書などがずらりと並べられていた。 ひえーと二人は呆然と同じような顔で棚を見上げる。
「どれも全部同じに見える・・・」
「うん、私もだ・・・」
どれから取ってみればいいのかさえも全くわからず、二人が指をくわえて本棚を見上げていると、鈴代はどこからか聞きなれた声をキャッチした。 後ろを振り向いたが、それらしき人はいない。 聞き間違いか、と本棚に目を戻したが、やはり聞き覚えのあるその声はこちらに近づいて来ていた。
「私はいつもこのシリーズ買ってるんだー」
「あー、それ俺も持ってる。でも、古文はこっちの会社が出してるやつの方が見やすいよ」
「へえ〜!それ買おうかなあ」
鈴代はふと、向こうの列の本棚を覗きこんだ。 その瞬間、鈴代は思わずぎょっとする。 そこには仲良く並んで一冊の参考書を読む丞と白鳥美海の姿があった。 鈴代は驚きに目を見開いて、声を出しそうになったのをぐっとこらえる。 そして慌てて姿を隠した。
なっ、なんで丞と白鳥美海?! 意味わかんねー!!
「鈴代?そっちいいのあったか?」
「わっ、いやっ、こっちは無い!むしろあっちだ!」
「おー、マジか!」
ふう、と安堵の息をついて額の汗を拭う。 そしてもう一度、本棚の陰から覗いて確認してみる。 だが、やはりどれだけ凝視しても丞と白鳥美海に間違いはなかった。
にしても白鳥美海、可愛い服着てんなー あんなフリルの白いミニスカ、私には絶対履けない・・・
「鈴代?やっぱりそっちにいいの・・・」
「あっち!あっちにめっちゃいいのがあった!!すぐに成績グーンってなれるやつ!!」
「オイ、マジでか!それを早く言えよ!」
睦月が全然空気読めない馬鹿で本当によかった、と鈴代は心からそう思った。 でも、どうして丞が? 白鳥美海と二人きりで本屋なんて、聞いてねえぞ。 そしてほっと一人で胸を撫で下ろしていると、突然鈴代の肩に手がおかれた。
「あれって、丞と・・・白鳥?」
「うわ!睦月!あっち行ったんじゃ・・・」
「お前がこっち来てぼーっとしてっからだろ」
ったくよーと睦月はため息をつく。 がっくりと肩を落としてしょぼくれた鈴代の頭を、笑いながらぽんぽんと叩く。 鈴代が顔を上げると、睦月はにっこりと微笑んだ。
「俺に気つかってんのか?丞のことだし、ぜってーそんなんじゃねえよ」
「でも気になるじゃん」
「まあ・・・気になりはするけど・・・」
無言で二人は顔を見合わせる。 どうやら性別は違えど、馬鹿の考える事は大体一緒らしい。 二人はにやっと怪しい笑みを浮かべて、頷いた。 そして、数冊の本を手にしてレジへと向かう丞達の後をそそくさと追った。
重い扉を開くと、チリンと鈴の音が聞こえて、その奥からお洒落なジャズピアノの音が流れてきた。 曲の名前なんて、知る由も無い。 カフェの中は思ったよりも狭かったが、思ったよりもずいぶん大人っぽい洒落た内装だった。 店内には上品なコーヒーの香りが充満していて、お子様味覚な鈴代と睦月にとっては大人の世界に足を踏み入れたようだった。 場違いな格好できょろきょろと店内を見回せば、奥の方の窓辺の席に丞と白鳥美海が向かい合って腰掛けているのが見えた。
「オイオイ、こんなシャレた店初めて入ったんだけど、俺」
「私もだよ。ファミレスとは比べモノにならねーな」
とりあえず、丞達が見える少し離れた席に二人は腰を下ろした。 見たところ、二人は優雅にティーカップを片手に談笑しているようだった。
なんか、すげー楽しそう。 雰囲気がめっちゃお上品なんだけど。
「なんか、すげー大人っぽいな」
「お前、呑気だな・・・」
「なんだよ呑気ってー」
「悔しくないのかよ?!自分の知らないところで二人きりで・・・」
「だって相手は丞だぜ?丞は、俺の応援してくれてんだ。絶対、そんなんじゃねーよ」
馬鹿だ。 馬鹿だけど、なんて真っ直ぐな心してんだろ。 はっきりとそう告げた睦月の横顔が、やけにカッコよくて、ひどく寂しかった。 何で、寂しいなんて思ったんだろ。 それは多分、自分とは違うから。 馬鹿なくせにひねくれて、睦月みたいに前向きになれないから。 急に睦月が自分の世界のヒーローじゃなくなったみたいで、寂しかったんだ。
馬鹿みたい。 私はなんて嫌な奴なんだろう。 心が曲がってる。
「あ、丞達が出ていく」
「えっ」
瞬時に睦月と鈴代はテーブルに顔を伏せる。 その後すぐチリンと扉の鈴の音が聞こえて、どうやら丞達は出て行ったようだ。 鈴代は慌てて席を立った。
「オイ、追うぞ!」
「俺等まだ何にも注文してね・・・」
「いいから早く!」
なんちゅー迷惑な客なんだ、と睦月は呟いたが鈴代はそんなことにかまっている暇は無かった。 訝しげにこちらを睨む店員の前をずかずかと横切って、鈴代達はカフェを後にした。
急いで走っていれば、すぐに丞と白鳥美海に追いついた。 まるでデートのように、歩道を二人並んで歩いていた。 ときおり互いに顔を向かい合わせて笑ったりしながら、楽しそうに話している。 そしてふと丞が立ち止まって、白鳥美海を連れて道を曲がった。
「コンビニ?」
丞達が入っていったのは鈴代もよく知るコンビニだった。 さっきの大人なカフェから、一気に親近感が湧いたが、狭くて明るい店内まではさすがに尾行できない。 すると、睦月がハッと息を呑んで大袈裟に飛び上がった。
「なんだよ」
「霜月との待ち合わせ、そういえばこのコンビニだ」
「は?!今何時だよ!」
「えーとえーと」
睦月は慌ててポケットから携帯をとりだした。
「2時50分・・・」
「あ、いた」
その声に振り返れば、そこにはこちらに歩いて来る霜月がいた。 派手な服の睦月とは対照的な、シンプルな服装だった。 それこそ白鳥美海の隣が似合うような、大人っぽい感じ。
「早くついたと思ったら、意外だね」
「意外ってなんだコラァ」
「何、その態度。別にこっちだって来たくて来たわけじゃないし、構わないんならもう帰るけど」
「なっ、ちょっ、わっ、悪かったって!」
呆れたように霜月は長いため息をついた。 見たところどうやら、睦月はあまり上手な誘い方をしなかったようだ。 意地を張りながら焦る睦月を見て、鈴代も呆れる。
「一言に参考書って言っても、自分の学力に合わせたの買わなきゃね。睦月の場合・・・そこまで低レベルの参考書があるかどうか」
「んだとてめぇコラァ」
「小学生対応の高校の内容なんて、さすがにどの出版社も取り扱ってな」
「小学生ってコラァ俺の事言ってんのか」
「鳴くようぐいす」
「平城京!」
「さすがだね。どんな期待にも応えてくれる」
霜月の嫌味にも「だろ?」と笑顔で答える睦月。 霜月の軽蔑の眼差しにも全く気付いていないところは、やっぱり馬鹿で、鈴代は思わず笑ってしまった。 その時背後でコンビニの扉が開いて、店内のノイズが一瞬聞こえた。 振り返ると、そこには丞がいつもの無表情でこちらを見ていた。
「・・・鈴代?」
「あっ」
やべ、と鈴代は顔をそむけるがもう遅いに決まってる。 ちら、と丞の表情を伺うと、意外にも少し驚いた顔をしていた。 すると、背後からもう一度扉が開く。
「相模っちおいてくなんてひどーい」
「あ、ごめん。先に外出てたのかと思ってた」
「アイスどれにしようか見てたのー!」
「美海?」
白鳥美海は、その時初めて鈴代達の存在に気付いたようだった。 だが、白鳥美海は鈴代でもなく睦月でもなく、その背後にいる霜月の方に釘付けになっていた。
「あ、しーちゃ・・・」
「何してんの?」
霜月の言葉には、珍しく棘があるように思えた。 表情はいつもどおり無表情に見えるが、双子の睦月には霜月が不機嫌である事を読み取っていた。 しかしそれが何故なのかまではわからず、睦月は敵意のこもった眼差しで白鳥美海を見つめる霜月の前に立ちはだかった。
「霜月、てめえそんな目で白鳥を見んな」
「どけ」
「どかねえよ」
「美海」
間に睦月をはさんだまま、霜月はもう一度白鳥美海を呼んだ。 白鳥美海は何が起こっているのかよくわからず、返事をしかねていた。 睦月は、霜月が白鳥美海の事を名前で呼ぶことに、前から知っていたものの、至近距離で聞くと嫉妬が疼いた。 霜月は睦月を強く睨んだかと思うと、次の瞬間、睦月の肩を思い切り強い力で掴んだ。 睦月は驚いたが抵抗する間もなく、突き飛ばされていた。 霜月も本気でやったわけではなかったらしく、少しよろけただけだったが、霜月は白鳥美海の元へずかずかと歩み寄っていた。 霜月は、苛立ちのこもった眼差しで、白鳥美海を見下ろす。 白鳥美海は、その鋭利な眼差しに、少し怯んだ。
「美海が好きなのは、相模なわけ?」
「えっ、違っ」
「意外に軽いんだね」
霜月は冷たくそう言い放ち、白鳥美海に背を向けた。 去り際に呆然とする睦月を一瞥して、霜月はその場を足早に立ち去った。 姿がなくなってすぐ、白鳥美海がハッとしたかのように目を見開いて、
「しーちゃん!」
と、もう見えない霜月の名を呼んで、慌てて後を追いかけて行った。 やがて白鳥美海のヒールの音が聞こえなくなって、その場に残ったのはいつもの三人だった。 丞の方を見ればすでに無表情に戻っているし、睦月の方は呆然と白鳥美海が走り去った方を見つめたままだった。
な・・・ なにがどうしてこうなったんだよー!!
訪れる沈黙の中、鈴代は一人心の中だけで叫んだ。
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