第七話      眠たがりの不良は、策士?





「おっす!!白鳥!」

通学カバンを肩にかけ、意気揚々と登校してきた睦月は靴箱でばったり白鳥美海と出くわした。
これも日頃の行いがいいから神様が小さな奇跡をもたらしてくれたのか、と勝手な勘違いをしながら大きな声で朝の挨拶をする。
白鳥美海の方は大きな声に少し驚いたようにこちらを振り向いたが、満面の笑みで挨拶を返した。

「おはよう、何だか元気いいね」

「おうよ!白鳥は元気か?」

「うん!私も元気いっぱいだよ!」

白鳥美海の笑顔を見た時ふと、白鳥が霜月にふられたという事実を思い出す。
だが、当の本人の言葉にはどうやら嘘は含まれていないようで、疑いようの無い太陽のような眩しい笑顔は本物だった。
元気でよかった、と睦月は思わず微笑んで胸をほっと撫で下ろした。

「朝は相模っちとは一緒に来ないんだね」

「おー、丞は基本遅刻だからな」

「あ、なんかわかるかも。相模っちって朝苦手っぽいよね」

「そうか?まあ朝だけじゃなくて常に眠たそうではあるけどな。眠たがりってやつ?」

「ねむたがり?」

他愛も無い話をしながら廊下を並んで歩く。
隣で、白鳥美海の長い黒髪が揺れる。
階段をのぼれば、黒髪がリズムを刻んで膨らむ。
あ、なんかちょっとカップルっぽい、と無邪気にも程があるほど睦月は舞い上がる。

「あれ〜?相模っちだ!」

教室に入るとみんな部活の朝練があるからか、誰もいない。
と、思いきや、なんと意外にも丞が窓辺の席についてノートらしきものを読んでいた。

「・・・おはよ。あれ、睦月じゃん」

「あれ、ってこっちの台詞だよ!どうしたんだよ、丞が朝一番なんてさ」

「そうかね」

「さっきそこで相模っちは朝が苦手そうって話してたんだから!」

「まあ、それは事実ですけどね」

丞が眠たそうに、欠伸を噛み殺しながら言った。
ノートを閉じて、こちらに体を向けた。
白鳥美海は今日はやけに上機嫌で、鼻歌を歌いながらカバンの中身の整理をしている。
振られたんだよな・・・?と頭上に疑問符を浮かべながら睦月は白鳥美海の様子をじっと見つめていた。
そんな睦月を、丞が射抜くように見据えている。

「なんで、二人一緒に来たの?」

「たまたま靴箱で偶然会ったの!ねっ」

「あ、うん」

「へえ、偶然か」

丞は無表情のまま、睦月から目線をそらした。
それにどんな意味があったのか、睦月が知る由も無かった。
そしてすぐに教室にはだんだんとクラスメイトたちがやってきて、十分も経てば三人しかいなかった教室は随分と騒がしくなってきた。
その時、教室の後ろの扉がゆっくりと開いて見知った人物が現れた。

「・・・美海」

「しーちゃん!」

ただでさえ上機嫌だった白鳥の笑顔の照度が最大限まで引き上げられたのが目に見えてわかった。
さらに睦月まで、わかりやすいように頬がひきつっている。
白鳥美海は急ぐように霜月の元に駆けよって、でも少しだけ以前より恥ずかしがるように頬をピンクに染めて話していた。

「・・・ふられたんじゃねーのかよ」

睦月のその呟きは、丞にだけは届いていた。
丞は睦月の悔しそうで、そして何故か凛とした横顔を見つめて、思わずふっと笑った。

「じゃあ、その企画案の提出は次までだからよろしく」

「うん、わかった。ねえ、しーちゃん」

もうすぐ予鈴が鳴るからか、早々にこの教室から去ろうとしていた霜月は、足を止める。
霜月の白鳥美海への視線は鋭く、でも刃物のような鋭利さは無かった。
それは何もかもを見透かしたような、白鳥美海の笑顔と対極にあるような視線だった。
しかし、白鳥美海の発言は霜月にとっても予想外だったようだ。
次の瞬間、霜月の無表情がわずかに崩れ、驚きに目が見開かれた。

「私、諦めないよ。しーちゃんが振り向いてくれるまで」

周りのクラスメイトは気付いていないようで、騒ぎ続けている。
だが、睦月と丞の耳にははっきりと白鳥美海の声が届いていた。
騒音の中にいるはずなのに、まるで外界から切り離されたような見えない沈黙がそこにはあった。
白鳥美海は、可憐に微笑む。
霜月は、その笑顔を無表情で見つめている。

睦月が両手の拳を握りしめるのを、丞はどこか楽しそうに眺めていた。





「ったく、早く行くならそう言えよ!」

「だからごめんってば」

まだ日はそれなりに高く、青空の見える帰り道。
鈴代は朝、放って行かれたのをまだ根に持っているらしく、さっきからずっと拗ねたままだ。
丞は眉間に皺を寄せて抵抗する鈴代を横目で見て、ふっと優しく微笑んだ。

「コンビニでなんか奢ってやるよ」

「えっ、マジで?」

「んまい棒でいいか?」

「てめっ、喧嘩売ってんのかコラァ」

鈴代の鉄拳をかわしながら、丞は笑う。
そして鈴代も程なくして頬を緩ませ、笑みを零す。
そしていつもそこにあるはずの三つ目の笑顔は、今日は見えない。

「それにしてもアイツが図書室だなんてまじ似合わねー」

「まあ、そう言ってやるな」

「にしてもさ・・・はー、なんか今日の睦月すげえやる気みなぎってたよな」

―――――――さて、本当にそうだろうか。
朝の出来事はもちろんの事、白鳥美海の告白の結末さえも鈴代は知らない。
睦月は霜月本人にでも聞いたのか、どうやら知っているようだった。
きっと、睦月のやる気は、いつものようなポジティブなものではないだろう。
丞には、睦月の瞳に、霜月への劣等感や嫉妬心が映っているように見えた。

「あ〜あ・・・睦月の事、応援してやりたいけど複雑だなあ」

「え、なんで」

「なんでって、睦月の事好きだからじゃん」

丞は目を見開く。
確かに気付いてはいたが、そんなにもあっさりと口に出すとは思わなかった。
思わず足をとめた丞に、数歩先で鈴代がきょとんとした顔でこちらを振り返る。

「え、なんだよ」

「・・・いや」

「気付いてたんだろ?悪かったよ、今まで言わなくてさ」

鈴代は恥ずかしさを隠すためかすぐに向こうを向いたが、耳まで赤いので丸わかりだ。
すると鈴代はしばらくして再びこちらに向き直り、やけに真剣な顔つきで言った。

「丞を板挟みにするのは悪いから・・・応援はいらない。睦月の、白鳥さんとの応援してあげて」

「・・・。」

「私の方は、見守っててよ」

最後に鈴代はふっと、困ったように笑った。
そうしてくるりと背を向けて、歩きだした。
丞は無表情でしばらく鈴代の背中を眺めて、金髪の前髪をかきあげた。

「丞?」

「・・・忘れ物したかも、教室」

「はーあ?」

「先、帰ってていーよ」

そう言って丞は急ぐでもなく、あくまでゆっくり歩いて元来た道を引き返す。

「んまい棒はどーすんだよ!」

「また今度ー」

なんか前にも似たような事が・・・と小さな鈴代の呟きが背中に聞こえる。
不服そうな鈴代に軽く手だけ振って、丞は十字路を左に曲がった。
ふと立ち止まって後ろを振り返る。
もちろん、鈴代の姿は無いし、声も聞こえない。
何故か丞は、鈴代のいる筈の無い先程の曲がり角をじっと見つめる。

時々、わからなくなる時がある。
一体自分は誰の味方で、何をどうしたいのか。
自分が、何を求めるのか。

いや、わかっている。
心の中だけでそう呟いて、丞はゆっくり歩き出した。





「あれ?相模っち」

図書室に入ると、白鳥美海が窓辺の席で勉強をしていた。
分厚い本を同時に三冊も開いて、ノートに何かを書きうつしている。
丞は白鳥美海に歩み寄って、向かいの席に腰掛けた。

「睦月くんなら、さっき帰ったけど」

「うん。さっきそこですれ違った」

「じゃあ、相模っちもお勉強?」

「いや」

少し間をためて、白鳥美海の瞳を見つめてみる。
白鳥美海は相変わらず純粋な眼差しで、丞の言葉の続きを待っている。

「白鳥に、会いに来た」

「えー何で?」

白鳥美海はふふ、と上品に微笑む。
丞はそれに微笑み返す事無く、相変わらずの無表情で続けた。

「本当はさ、朝話そうと思って早く学校来たのに、睦月が一緒だったから」

「あ〜だから早く来てたんだ!」

どおりでおかしいと思ったんだよな〜と表情を明るくして、白鳥美海は楽しそうに笑う。
白鳥が静かになるのを待って無言のままでいたが、その時白鳥がはっと何かに気付いた。

「あ、もしかして恋の相談とかだったりして!」

「おー、勘がいいね」

「わ、本当なの?!」

たちまち白鳥美海は先ほどよりも顔を明るくさせて、興奮からかいくらか頬も紅潮していた。

「なんか私にもアドバイスくれたから、もしかしたらそうかなって!」

白鳥美海はノートの上に覆いかぶさるように身を乗り出して、丞の言葉を待っていた。
その目は爛々と輝いていて、明らかな期待が見てとれた。
丞は小さく息をついて、机の上に両肘を立てて白鳥美海の大きな瞳を真正面から見つめた。

「俺と、付き合って欲しいんだけど」