第二夜              黒いコート




空には月。
細い細い、今にも闇に塗り潰されてしまいそうな月。
長い廊下には、窓から漏れる月光が弱々しく差し込んでいる。
窓の格子の影と、アリアと前方を歩くもう一人の影だけが薄暗い夜の廊下に映る。

誰もが寝静まっている真夜中に、アリアと男の足音だけが響く。
前方二メートル程先を歩く男の名は、星羅。
顔は最高に美形だが、性格は最高に悪かった。
結局、自室まで案内をされるというよりも、帰路についている彼のあとを勝手についていくといった
形でアリアは彼の後ろを歩いていた。
たまたま彼の自室がアリアの自室の隣らしいので、自室に戻る彼のあとをついていけば必然的に辿り
着くはずだ。
すぐ隣なら別に案内してくれたっていいじゃないか、と思う判明、こんな奴に案内してもらうなんて
こっちから願い下げだ、とも思う程この男に対するアリアの印象は最悪だ。
前を歩く男の背中を睨みつけながら、アリアは隠す事も無く大きく欠伸をした。

どれだけ歩いたか。
疲労と睡魔のせいで記憶が無い。
何階のどこの廊下かはわからないが、長い長い廊下の一番端で男は立ち止まる
そしてちら、とこちらを一瞥した後無言で男は奥から二番目の部屋の扉のドアノブを握る。
どうやらそこが男の自室のようだ。

「私の部屋ってどっちなの?」

彼の部屋の隣と言える部屋は両側に2つある。
部屋の扉には名前が書いているわけでもなく、見分けがつかない。
男は部屋の扉を開け、閉め際にアリアに短く言った。

「知らね」

バタン、という音を最後にアリアは一人廊下に取り残される。
夜の静けさが、何とか沸々と湧きあがって来るアリアのドス黒い感情を静めていた。

あいつ・・・・・絶対今後一切関わらないでおこう。

そう心に誓い、とりあえずアリアは一番奥の部屋の扉を開けてみる。
鍵がかかっているかと思ったが、ドアノブは簡単に回った。
部屋は、シャワールームが隣接した簡素な部屋。
必要最低限の家具しか置いておらず、大きな窓が一つあるだけ。
ベッドの上に新品の制服のようなものが折りたたんで置いてあることから、どうやらアリアの自室は
ここである可能性が高い。

「寝よ」

長旅で疲れたアリアは、とりあえずトランクを置いてコートを投げ捨て、ベッドに飛び込むように横
たわる。
シャワーを浴びる気力も無い。
目を閉じる寸前、大きな窓の向こう側にある月が見えた。

細い細い、今にも闇に塗り潰されてしまいそうな月。

何故か見下されているようで

何故か蔑まれているようで

ふっと浮かんだ星羅の顔に、アリアは腹癒せに枕を殴った。





「あー、いたー!!」

食堂で静かに朝食をとっていると、入口から大声で昨夜の白衣の男が手を振ってこちらに駆けてきた。
名は・・・・・何だったか。
その白衣の男の後ろに、二人の女も一緒について来ていた。
三人はアリアの元に駆け寄り荒い息を整えて、平然とするアリアを見て苦笑して頭をかいた。

「部屋に行ったらいないから・・・・よく食堂がわかったね」

「人に聞いた」

「星羅に聞いたら無視される始末で・・・悪かったね、昨日は

「本当に」

星羅の顔を思い出せば、そこに在るのは苛立ちしかない。
それが露骨に表情に出たようで、白衣の彼は苦笑する。

「いやー・・・早速何かあったようで」

「星羅に新人の案内なんて頼むアルドが悪いわよ!」

後ろからした声に、アリアはふとそちらに目をむける。
背は女性にしてはわりと高く、アリアよりも高い。
金髪の長い髪をツインテールに結んでいるが、青紫の瞳が彼女を大人びて見せているので何歳かはよ
くわからない。
役職的に偉いはずの彼を遠慮なく思い切り何度も叩いているところから、要するにそういう性格なの
だろう。

一方、その隣にいるもう一人の女はツインテールの女とはかなり対照的だった。
小柄で黒髪を高い位置で二つのお団子にしているのが尚更彼女を幼く見せる。
隣で二人のやりとりを微笑んで見ているだけで、決して口を挿もうとしないところから性格的には消
極的のようだ。

「いやあ、ごめんごめん・・・・・てことで、星羅の代わりに君の案内役を用意したから」

・・・それがこの後ろの二人か。
ツインテールの彼女は堂々たる態度でニコリともせずに、座っているアリアを見下ろす。

「私はモニカ・ジェラール。よろしく」

気が強そうだ。
アリアの持ったモニカの第一印象はそれだった。
すると、後ろからおずおずと黒髪の少女が顔を出す。

「私はリー・オウです。よろしくお願いします」

控え目に微笑む彼女はこれまたモニカとは両極端である。
差し出された手を握り返すが、アリアは決して微笑み返しはしない。
行くぞ!というモニカの声に、アリアはまだ食べかけの朝食を名残惜しげに見つめながらも半ば強制
的にクレイシアの案内へと出発した。





「部屋にシャワールームがついてるけど、大浴場もあるのよ。みんな普通はここで入浴するわ。それ
からここは談話室で・・・」

意外にモニカは事細かく丁寧に塔内のガイドを務めていた。
男勝りな雰囲気から大雑把なのだろうと予想していたアリアは、少し見直す。

朝の塔は、昨夜の塔とは全然違う。
明るく、騒がしく、慌ただしい。
上の方の階層まで全部吹き抜けているので、各フロアで早足で行き来する人達が全て見える。
あまりに大勢の人がいるものだからついつい見入ってしまっていると、突然モニカに勢いよく肩を叩
かれる。

「ざっとこんなもんだけど、わからない事あったら何でも聞いて」

・・・・・姉御肌。
ふと、その単語がアリアの脳裏によぎる。

「てゆうかこのモニカ様がわざわざ新人の案内なんて滅多にしないんだから、感謝しなさい」

「はあ・・・・あなた強いんですか」

「強いも何も!!」

大袈裟な効果音が聞こえてきそうなほどオーバーにモニカはこちらに振り向く。

「知らないの?!この黒いコートは強い戦士の証よ。選ばれし太陽の使徒しか着る事が許されない・
・・」

「ふーん。じゃあ、これは?」

「それは・・・・って何であんたも黒いコートなの?!」

そんな事を聞かれても困る。
部屋に置いてあった制服がこれだった、それだけの事だ。
見てみればモニカもリーも黒いコートを着用しているが、上を見上げると歩いているほとんどの人が
白衣か白いコートを着ている。
それにしても、この二人がそんな相当な実力者だとは驚きだ。
顔に出たのか、モニカが怪訝そうにアリアを見る。

「なあに?その顔は。まあ、いいけど・・・・そのコートの事はまた今度アルドにでも聞いときま
しょ」

「入団当初から使徒なんて初めてですね。使徒は今アリアさんを除いて五人しかいないのに・・・す

ごいですね、アリアさん」

「いや・・・・何かの勘違いかと」

とりあえず否定したが、リーは人の話を聞いていないのかキラキラした眼差しでアリアを見つめる。
アリアは自分の頬がひきつるのを感じるが、面倒なので何も言わないでおいた。
すると、モニカがふと何かに気付く。

「あら、カエンヌ」

モニカの見つめる方向に目をやれば、同じ黒いコートを羽織った人物がこちらに向かって歩いていた。
黒いコートからして、おそらく使徒なのだろう。
綺麗なプラチナブロンドを後ろで一つに束ねており、にっこりと上品に微笑むところから紳士オーラ
が目に見えるようだった。

「あれ、見慣れない顔・・・・黒いコートですか?」

「そうなのよ。アルドの手違いかしら」

「へえ・・・もしかして、星羅が案内を頼まれていた新入りですか?」

カエンヌと呼ばれた男の目がアリアに向く。
至近距離で見ると、カエンヌの瞳は銀色でどこか神秘的だった。
カエンヌも星羅と同じようにアリアを頭の先からつま先までじろじろと眺めたが、星羅とは違って最
後にはにっこりと微笑んだ。

「美人ですね。戦士とは思えない綺麗な足だ」

「どっか行けこの変態紳士」

「変態とは心外ですね」

カエンヌは再び微笑み、アリアに手を差し出す。

「カエンヌ・カルロスです。よろしく」

ども、と軽く頭を下げてアリアは手を握り返す。
するとその手をひょいと取られ、アリアは目をぱちくりさせた。

「手も綺麗だ」

自分の手を眺められ、アリアが呆然としていると横からモニカがカエンヌを突き飛ばした。

「だから触るな!変態!」

「だから変態とは何ですか」

モニカがしっしっと手を払う素振りを見せると、カエンヌは肩をすくめてやれやれ、といった素振り
で苦笑した。
カエンヌがふうと息をついた後、きょろきょろと上の階層を見渡すのを見て、リーが聞いた。

「誰か探してるんですか?」

「ああ・・・・星羅が一緒に朝食を食べた後、アルドに呼ばれて・・・

「あーそれなら多分お説教だよ。昨日アリアの案内放ったらかしたらしいから。ま、説教ったってど
うせろくに聞きもしないだろうけど」

そういえば、昨夜あの男も返り血がついた黒いコートをきていた。
とすると、星羅も使徒なのだろう。
ふと、アリアの目線に気付いたらしく、カエンヌが小首を傾げる。

「それにしても、何でこんな美人の案内を放置したんでしょうかね」

「あんたじゃないんだから星羅は。まあー当然といえば当然じゃない?初対面だとあの人見知り王子
様は超冷たいから」

「嫌ってるわけじゃないですから、安心してくださいね。アリアさん」

リーの言葉に、心外だとばかりにアリアは露骨に顔をしかめる。
安心も何も別に嫌われてるとか思ってねーしてゆーかこっちが嫌いだし。
明らかに眉間にシワを寄せたのを見て、カルロスが苦笑する。

「嫌われたんですか?星羅は」

「女の子に嫌われるなんて珍しいわよねえ」

「モテモテですからね、星羅さんは」

「そのくせ女嫌いだなんて本当どうかしてるわあの王子様・・・」

「どうかしてるっていうのは俺の事か?」

その声を聞いた瞬間、アリアのこめかみがぴくんと引きつる。
聞き覚えのある、その声。
苛立ちを思い出させる、その冷めた声。

「あら、事実でしょ?」

「何が事実だ」

「いだいッ」

星羅が軽くモニカの頭をはたく。
その時、星羅がふとアリアに目をとめた。
無表情ながらに、アリアの黒いコートが目に付いたらしい。
一瞬眉をひそめたが、彼はそれとは関係ない事を口にした。

「新人」

自分が呼ばれたのだと認識するのに少々時間がかかった。

「王が呼んでいる」

「・・・・・はあ。行けって事ですか」

「それ以外に何がある」

そんな事言われても。
王がどこにいるのかがわからない。

「昨日の罰として王の間まで星羅が案内しなさいよー」

星羅はあきらかにむっとした表情になったが、肯定も否定もせずにコートを翻して歩きだした。
何だコイツ、とその背中を見送っているとモニカに背を押される。

「ほら、ついて行きなさいよ!」

「は?」

「案内してくれるって言ってんのよ」

いや、言ってない。
聞いてないし。
アリアは眉間にシワを寄せて、やれやれといった風に星羅の後をついて行く。
二人の間にある二、三メートル程の距離を見て、モニカは大きくため息をつく。

「そりが合わないみたいね」

「みたいですね」

「それにしても、黒いコートは一体どういうことなんでしょうか」

「黒いコートは特注品よ。間違えるはずがないわ」

三人は互いの顔を見合わせた。カエンヌが冷たく微笑む。

「早急な穴埋めといったところか」

「アリアさんで六人揃ったと言う事は」

リーが言葉を切る。
モニカが厳しい表情を見せ、真剣な声色で言った。

「始動、ということね」