第一夜              クレイシア




女は、階段を上っていた。

見た目は十代後半か二十代前半。
白いシャツに黒いショートパンツ、腰の頑丈そうな黒の光沢のあるガンベルトには左に長剣、右に銃
と予備のマガジン。
隠そうとする気が全く見られない、その腰にある武器がかなり人目を引いている事については、彼女
は少しも気にしない。
ヒールは高めだが何の飾り気もないシンプルな黒のブーツは、歩く度にカツンと硬い音が響く。
彼女の質素な容姿の中で、際立って美しく映える黒い巻き髪はシンプルに右肩で束ねられており、一
段階段を上るたびにふわりと揺れる。

女の名前はアリア。

身長は少し高め、体重は人並み。
好きな物は特になし、嫌いな物も特になし。
家族構成、特になし。
趣味は強いて言うなら、読書に鍛錬。
職業は――――――――――――戦士。

アリアはようやく階段を上りきる。
思わず息をついて、片手に握っていたトランクを側に置く。
ふっと見上げればそこには、悲鳴でも聞こえてきそうな不気味な塔が建っていた。
闇で塗りつぶしたかのように真っ黒で、塔の先端が鋭く尖った形になっているのが随分と威圧的だ。
この塔はとある大きな城の一角として建てられているのだが、城自体はまともな外観をしているがた
めに妙な疎外感を感じる。
それに城の一角といえど、ほとんど隔離された状態になっており、まず城との行き来は不可能だ。
その為にアリアはこんな長く険しい階段をひたすら上ってやってきたのだ。

今日からアリアは此処に住む。はずだ。
ここは一応、大国バルトの国家直属機関クレイシアの総本部。
アリアは今日付けでここに所属し、戦士として任務に赴いたりするはずだったのだが、まあ寝坊した
りといろいろあり、果たして日付がまだ今日であってくれるかどうか。
地図を何度食い入るように見つめようが、本部はやっぱり間違いなく此処だった。

不気味すぎる。

おそらく、何かしらの理由があってここまで不気味に仕上げられているのだろう。
そう思う事にする。
そうでなければ、よほどの事がなければこんな風変わりな建物は存在できない。
あの無数のコウモリもきっと、最新の防犯カメラだったりとかするのだろう。

「あっ」

どこかから聞こえた大きな声に、アリアはふとそちらに目を向ける。
目の前に続く長い道の一番向こうに、男が立っていた。
長身痩躯でせっかくの綺麗なプラチナブロンドが台無しのぼさぼさの短髪、皺のよった白衣をまとっ
てこちらに向かって大きく手を振っている。
アリアは笑顔で手を振り返すような性格ではないので、とりあえずそちらに向かってトランクを引き
ずりながら歩きだす。

「遅いから迷子にでもなってるのかと思って心配してたよ。よかった、よかった」

へらへらと何とも頼りなさげな笑顔を下げて、その男は言う。
この不気味な塔に似合わぬ、ヘタレっぽいこの男は何なのか。
もう少し戦士らしい厳つい人を想像していたアリアは、訝しげに彼を見る。

「俺はアルド=バリ。アルドでいいよ」

「・・・・どうも」

そんな険しいアリアの視線に物ともせず、最も気付いていないだけなのかもしれないが彼は微笑んだ。
アリアもとりあえず、差し出された手を軽く握り返す。
そして他には言葉を交わす事なく、くるりと白衣を翻して男は歩きだした。
男の後をついて歩きながら、アリアは辺りを見回した。
何かが棲んでいそうで、風にざわめく木々の間にアリアは目を凝らす。

「あまりここから出入りする人はいないんだけど・・・まあ、一応ここ正門ね」

アルドの声に、意識をこちらに戻して目の前の巨大な扉を見上げる。
雲の隙間から顔を出した月が、扉を照らす。
真っ黒だった扉に描かれている装飾が、かすかに見える。
この翼の生えた生き物は、天使だろうか、それとも悪魔だろうか。

「クレイシアにようこそ」

重厚な扉がゆっくりと重々しく開き、にっこり微笑むアルドに続いて、塔の中に足を踏み入れた。
その先に続いていたのは、黒い広間。
大理石だろうか、床も壁もよく磨かれた真っ黒な石が見渡す限り敷き詰められていた。

「こっちだよ」

広間の一番奥に、大きく豪華な螺旋階段があった。
金色の手すりに赤い床。
なんだか階段だけ妙にまともな気がする。
アリアはトランクを持ち上げて、アルドに続いて階段に足をかける。
階段を上りはじめてすぐ、急に景色が変わった。
一面真っ黒だった玄関とは違い、二階から上は吹き抜けになっていてどこのフロアも見渡せる。
天井は一番上まで吹き抜けて、霞んで見えるほど高い。
夢中になってその広い塔内を見渡していると、アルドがふっと微笑む。

「さて、軽く自己紹介するか」

アルドの声に、アリアは顔をあげる。
とても広い塔内に、アルドの声と二人分の足音が響き渡る。

「俺は見ての通り、戦闘要員ではないんだ。主に戦士のサポートをする、いわゆるインテリ派ってや
つ。で、そのインテリチームを統括しているのが俺、アルド=バリ。わかんない事があったら何でも
聞いてね」

なるほど、だから白衣なのか。
こんなすぐに砕けそうな足腰で一体どうやって戦うのか、という疑問が晴れる。
近くで見ると手入れされていないぼっさぼさの髪の毛に無精ヒゲ、でもよくよく見ると結構若い。
二十代といったところか。
それでインテリチームを統括しているとなると、見かけに寄らずなかなかのやり手だ。

「クレイシアは戦闘組織、だなんて呼ばれてたりもするけど、戦士だけじゃなくてそれ以上に治療班や
調査員といったサポート側の人も多くいる。一応、知っておいてくれ」

その時、アルドは突然はっと息を呑んだ。
何事かとアルドを見やると、彼は口に手をあて、しまった・・・と呟いた。

「やば、そういやあの書類の締め切り今日までだったかな・・・・」

聞き間違いか、やばいよ殺される・・・という呟きがアルドの方から聞こえた気がする。
へらっと彼特有の弱々しい微笑みを見せて、彼は申し訳なさそうに言った。

「俺ちょっと今すぐ戻んなきゃいけないんだけど・・・・・どうしようかな」

あたふたと焦る彼の様子からすると、どうやらその書類とやらはかなり重要らしい。
お手を煩わせてしまって申し訳ないが、とりあえず自分の部屋くらいまでは案内してもらいたい。

「あ、そうだ。本当は俺が今日この城とこの機関について案内してざっと説明するつもりだったんだ
けど、こんな時間になっちゃったから明日また別の人に君を案内させる手筈になってるから・・・・
・あ、その人は星羅っていうんだけど」

セイラ・・・独特の発音に、異国の人だろうかと想像する。
おそらく名前からして東洋の人物だろう。
前に何かの書物で似たような名前を聞いた事があった。

「ちょっと癖のある人物だけど・・・・信頼はできるからまあ、仲良くしてやってよ」

こくん、とアリアは無言で頷く。
アルドは優しく微笑む。
すると、今まで二人分しか聞こえなかった足音に、一人分重なって聞こえる事に気付いた。
ふと、アルドが足を止めたのでアリアもとまった。
長く暗い廊下の向こう。
誰かがこちらへ歩いてくるのが見えた。
明かりの無いこの廊下、窓から漏れる月明かりだけが頼りなのではっきりとはわからない。
だんだんと鮮明になってくるその人物は、黒いロングコートを羽織っていた。
そして鋭いアリアの鼻が、ぴくんと何かを感じ取る。

血の匂い。

「あッ、星羅!」

お、例の人物か。
珍しい名前からか興味を持って、アリアはその人物をじっと見つめる。

アリアの想像とはだいぶ違った。

星羅は、男だった。

歳はアリアと同い年か少し年上くらい。
漆黒のストレートの髪は邪魔にならない程度に短く整えられ、高い鼻に大きな瞳、その他の整ったパ
ーツから彼は随分な美形である事が一目瞭然だった。
だがせっかくのその大きな瞳からは、尋常じゃない程の冷徹な視線を感じる。
アリアは彼のまとうオーラからはっきりと、実力のある戦士なのだと感じた。

「任務帰りか?」

「ああ」

感情のこもっていない、冷たい声。
血の匂いは、任務で戦ったからなのだろうか。

「怪我してるのか?」

アルドの心配そうな声にふと目をやったが、星羅のどこにも怪我らしきものは見当たらない。
おそらくコートで隠れているのだろうが、何故かアルドは見抜いたようだ。

「・・・・まあ、でもかすり傷程度だし問題ない」

「一応消毒しておきなよ。医療班とこ行って」

「いいよ。面倒臭い」

鬱陶しそうに星羅はアルドの手を振り払う。
アルドは心配そうに、通り過ぎる星羅を見つめていた。

「あっ、そうだ星羅!」

まだ何かあるのか、と言いたげな顔で、星羅は迷惑そうに振り向いた。
星羅はその際にちら、とアリアを一瞥したが何も言わない。

「今日、昼に食堂で会ったとき頼んだ事覚えてるか?」

「あー・・・・・・・・何だっけ」

「新入りを案内してやってくれってやつ」

「ああ・・・・・・」

「詳しい事は明日でいいから、とりあえず自室にだけでも案内してやってくれないか?」

「・・・・・・・誰を」

誰を、と聞きながらも星羅はアリアに目をやった。
星羅と目が合う。
どうやらアリアは彼に品定めされているらしく、星羅はアリアを頭の先からつま先までなめるように
見る。
そうしてものの数秒で品定めは終わったらしい。
彼は一言、アリアにではなくアルドに告げた。

「嫌だ」

「こら、星羅!」

ピクン、とアリアの眉が引きつる。
だが無表情のまま、アリアは彼を見つめる。
同じく無表情である彼は、もうこちらに目をやらない。

「眠い。俺は今すぐ帰って寝る」

「そのついででいいからさ。君の自室の隣だから」

アリアと星羅は顔をしかめ、同時にアルドに目をやった。

まじかよ。

互いにそう思ったのは誰の目にも明らかだった。
星羅はアルドが否定しないので、大きくため息をついてアリアを見る。
アリアはため息こそしないが、星羅と同じような陰鬱そうな顔をして星羅を見つめる。
また、目が合う。
自分と同じ、漆黒の髪に月光が反射する。

「・・・・・・仲良く、してやって?」

こちらの様子を窺うようなアルドのその言葉は、おそらく二人共に向けられた言葉だろう。
だが、そのどちらもその言葉に対する返答は同じ。

無理。

野性的本能、勘とでも言うのだろうか。
こいつとは、合わない。

アリアは彼を睨みつけた。
そしてまた彼もアリアを睨みつける。

美しい月光が、険悪な二人を照らしていた。