いつもの憂欝な日にオレンジ色の出逢いを。





―――――――五月晴れか。

空を見上げると、一点の曇りも無い完璧な青空。
気を緩めると吸い込まれてしまいそうな程綺麗なその空は、今の俺には嫌味ともとれた。
ここ最近ツイてない事尽くしの俺には、周りの幸せそうな雰囲気を漂わせる何もかもが嫌
味に思えてならなかった。
だから、罪があるはずのない太古の昔から地球を覆うこの青空も例外ではなく、俺はただ
ならぬ苛立ちを感じずにはいられなかった。

するとポケットの中の携帯が震えだした。
着メロは、柄じゃないから常にバイブ。
とりだして見てみると、新着メールが1件との事。

――――――――香奈か。

内容を見る前に携帯を閉じてポケットにしまいこんだ。
半年前から付き合っている彼女は、最近メールや電話の催促がしつこい。

「何で見たらすぐに返事くれないの?面倒くさいの?」

とまあ、毎度毎度会うたびに必ず似たような事を聞かされて最近うんざりしている。
言われれば言われるほど俺はやる気が消失していくタイプだ。
さらに最近はそれに進路の話も加わり、かなりうんざりしている。
大体、日記のような内容のメールに何をどう返信しろというのか教えてほしい。
俺はそういう細かに気の配れるタイプでもない。

ポケットに手を突っ込んで歩道橋の階段をのぼってゆく。
歩道橋が架かっている道路は、何故ここに歩道橋があるのかわからないほど人通りも車も
少ない。
しかし、何となくいつも俺は歩道橋を渡る。
そのとき、歩道橋の手すりにまたがって足をふらふらさせている女が目に入った。
見た感じ、年は自分とそう変わらない。高校生か。
それにしても、なんて危ない格好。

まさか―――――――――――――

信じたくは無いが、この世の中そういう事は珍しいでもなくなってきているのが事実。
女は長い前髪で表情は見えないが、何やらため息をついていた。
面倒臭くはあるが、見なかった事にはできない。
俺はため息をついて、そっと歩み寄った。

「あの」

女は驚いたようでもなく、ふいとこちらを振り向いた。
意外に美人だったその女は、こちらを無言でじっと見つめていた。

「危ないすよ」

「ああ、どーも」

まるで今まで何度も同じ返答をしてきたかのように、慣れたようにさらっと女は答えた。
どーもと言ったわりには降りる気はないらしく、再び足をふらふらさせはじめた。
風に女の長い黒髪がなびく。
ふわふわしたその女の髪からは、爽やかな柑橘系の匂いがした。

「降りた方がいいんじゃないすか」

「・・・・・おせっかいね」

さすがに今のにはイラッときた。
こっちは使いたくもない気を使って声をかけただけなのに。
もう知らねぇとその場を立ち去ろうとしたその時、女が振り向いて声をかけた。

「C組の、工藤じゃない?」

突然、名前を呼ばれて思わず足をとめた。
女と目が合い、女はなぜかふっと笑った。

「万年2位の」

―――――――――――こいつ、同じ学年か。

俺、工藤修二はテストで常に2位だという事は同じ学年の誰もが知っている。
もちろん、それは事実であり、俺は2位から落ちた事も無ければ1位になった事も無く、
高校に入ってこのかた文字通り万年2位だった。

「何でいつも2位なの?」

今、それを聞くのかと俺は明らかにうんざりとした表情をして見せた。
初めて話した奴はみな同じ事を聞く。
何故いつも2位なのかはそこまで不思議にも思っていないようだが、恒例のように聞いて
くる。
彼女の香奈に限っては

「何で1位がとれないの?」

と無神経にも聞いてきた。
その時は本当に、なんて無神経なんだと思った。
しかし、湧きあがる苛立ちと同時に悔しさも感じて、決して口には出さなかった。
大体、みんなそんな質問をしてどんな答えが返ってくると思って聞いているのだろう。
何故1位がとれないか。
その理由がわかっているのなら、今頃とっくに1位をとっているのではないか。

「何でって・・・」

「そんな事聞かれても困るよねー」

女は笑った。
意外にもその美形な顔には似合わず、無邪気に声を高らかに笑った。
しかし、もちろん印象が良いわけではなく、むしろどこか見下されているような気がして
少々の悪意を感じた。

「いつもいつも聞かれるんじゃない?うんざりでしょ?」

「わかってんなら聞くなよな」

「いやいや。すごいと思うよ、別に。2位なんて、すごいじゃない」

「てかあんた誰」

「えー知らないの?明星高のマドンナを?」

「マドンナ?」

こいつ、うざい部類の女子だ。
俺は、一瞬にして感じ取った。
クラスではフレンドリーな女子として男子とも仲良くできる部類の奴だが、俺はそれがど
うにも苦手だった。
そういう女子は、たいていいつも面白くもない冗談を口にする。
それがうっとうしくてたまらない。

「あー、あんたモテてるもんね。顔良くて頭良くて、モテすぎて女には興味無いって?」

あえて否定はしない。
わりとそれは事実だし、わざわざ否定するのも俺は好きではなかった。

「チア部のキャプテン、南さんがベタ惚れしたんだもんねー」

香奈も、それなりにモテている。
確かに男子にモテそうな顔をしているとは思うが、別に俺が香奈からの告白を承諾した理
由は顔にも、はたまた中身にも無い。

「あんたさあ、南さんの事そこまで好きでもないんじゃない?」

「・・・・・何で」

図星を突かれ、しかしそれを当てたのは彼女が初めてでもないので一応理由だけ聞いてみ
る。
彼女は俺の反応を見て、得意げに笑った。

「そんな顔してるし」

「・・・・・はあ?」

「だってあれでしょ?だるいんでしょ。メールの返信とかさ」

何でこいつはそんなこと知ってるんだ、と俺は目を見開いた。
彼女は俺のその反応がわかりきっていたようにふふんと笑った。

「まあまあ。最近、疲れてるようだけど、それも来月のテストに向けての勉強のせい?」

「それもあるけど」

「今回は少しぐらい肩の力抜いてもいいと思うよ」

「何でだよ。次が一番気合入れないといけないやつだろ」

何だか何もかも見透かされているようで、それでもって全てをわかった気になっている彼
女に腹が立つ。
すると彼女は微笑んだ。

「来月は絶対、1位とれるよ」

「何を根拠に」

「根拠ならあるさあ」

ひらりと長い脚が柵を越え、こちら側に舞い降りてきた。
それでも手すりには座ったままで、彼女はこちらを向いて俺を見下ろす。
塾の時間が迫っている事に、俺はなぜか気付いていなかった。
落ちてきた太陽を背後に、彼女はどこか得意げにほほ笑んだ。

「私、来月転校するんだ」

「・・・・・・・・だから何だよ」

本当は、何かもっと決定的な根拠を言うのかと期待していた自分にも腹が立つ。
また何かのジョークか、と呆れて俺は彼女に背を向けた。
こんな奴に付き合っていたら塾に遅れる。
ふと時計を見ると、もうすでに間に合わぬ時刻になっていた。
大きくため息をついて、俺は歩きだした。

「でも間違いないね」

後ろからまた声がする。
聞こえないふりをして、俺は足をとめなかった。

「まあくり上がるだけだから、努力が報いるわけじゃないのがちょっと心残りかもしれな
いけど」

聞き流すように俺は歩道橋の角をまがって階段をおりはじめた。
風が吹く。
俺の髪を乱暴にかきなでて、風は去った。
急がなければ遅刻なのに、俺は何故か足を止めた。
聞き流したはずなのに、彼女の言葉が妙に耳に残っている。

くり上がる?

その時、やっと彼女の言葉の意味に気付き、慌てて階段を駆けもどった。
しかし、そこにはすでに彼女の姿は無かった。
さっきまでの青空は、夕焼け空に変わろうとしていた。
少し走っただけなのに息切れが激しい。
部活引退してから全く走ってなかったからな。

その時、ポケットで携帯が震えた。
また香奈のあたりだろうと携帯をとりだしたが、届いたメールは見知らぬメールアドレス
からだった。
無題の件名を不思議に思いながら、なぜか迷わず俺はメールを開いた



南さんとお幸せに↑↑

和泉 春


――――――――ふざけやがって。
てか何で俺のメアド知ってんだよ。
そう思いながらもなぜか腹立たしくは思わなかった。
前に香奈に言われた言葉を思い出す。

「何で1位とれないの?相手は女の子だよ。しかも和泉さん、陸上のエースなんだから勉
強ばっかしてるわけじゃないんだよ。1回ぐらい1位とってみなよ」

俺だって野球部のエースやってんだよ、とその時は思いながらも言い返しはしなかった。
言ったって負け犬の遠吠えのように思われるだけだと思ったからだった。
それに言ったって香奈にはどうせ理解してもらえない。

そういえば、あいつは何もかも見透かしてた。
理解してもらえないのを苦痛に思いながら、理解されるとなぜか悔しい。

俺ってワガママだな。

なぜか笑えた。
もう一度和泉からのメールに目を通す。
すでに塾の時間は過ぎ、昼間の太陽は夕陽になって落ちようとしていたが気にしなかった。
どうせならサボってしまうか。
こんなに頑張らなくても、どうせ次のテストは1位なんだし。

そういえば、あいつ転校するって言ってたっけ。

その時、急に画面が切りかわって香奈から着信がきた。
きっと、塾の時間になっても俺が姿を現さないからだろう。
俺は香奈からの着信を迷わず切り、先ほどの和泉からのメールを再び表示させた。
そして返信ボタンを押すと、歩道橋の手すりにもたれかかってゆっくりメールを打ち始めた。

もしかしたら、あいつは俺が返信する事もお見通しかも。

そう思うと、やっぱり笑えてきて、俺は送信ボタンを押した。
やけに濃く紅い夕陽がビルの隙間に消えようとしている。

綺麗だ。

俺は携帯のカメラでその夕陽を撮った。
特に理由はない。
けど、携帯の液晶の中の夕陽は、昼の空のように俺を苛立たせる事はなかった。


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