第四話      ポジティブ馬鹿は、世界を救う。





「うわあッッ」

開口一番、睦月の口から出たのは悲鳴に近い驚愕の声だった。

「お前まで髪の毛どしたんだよッ」

鈴代は無言で睦月の脛を蹴る。
倒れて悶えている睦月を一睨みすると、背後から丞が現れた。

「あー・・・やっぱ染めたんだ」

何?何?と睦月は丞に説明を求めている。
しかし、何故か丞は睦月をスルーして席につく。
この前みたいにまた不機嫌な丞を見て、鈴代はため息をつく。

「何だよ、お前が黒に戻せって言ったんじゃん」

「うん。言った」

「なのに何でそんなむっとすんだよ」

「してないよ」

「何?何?二人共何なわけ?」

「お前はうっせーんだよ!」

「何だよ!気になるじゃんかよ!」

まるで子犬が互いに威嚇し合うかのように低レベルの睨みあいを繰り広げる
が、丞はいつものようにツッコむでもなく見守るでもなく、完全無視だった。
睦月はあいかわらず空気が読めずにしつこく理由を聞いてくるが、鈴代は今
は睦月の反応よりもどうしてか丞の方が気になった。
丞が不機嫌になる理由がさっぱりわからない。

あ、でももしかして。

前にさらっと、鈴代まで真面目になったら自分だけが不良になる、と漏らし
た事があった。
それか。それなのか?

「うわッ、何だお前等朝っぱらから教室に登校してくるなんて珍しいな」

「そんなに珍しいかよ」

「屋上がお前等にとっての教室みたいなもんだろ」

「ちげーよ!なめてんだろゴリ!!」

「べつにナメてませんけどぉー」

「うぜえ!うぜえ!」

担任の後鳥が教室に入って来ると、四人しかいないのにとたんに騒がしくな
る。
後鳥はあだ名の通り、ゴリラみたいに筋肉マッチョな先生で、性格はゴリラ
よりいくらかはおおらかだと思う。
部活の朝練などで誰もいない教室は、ゴリの言うとおり鈴代にとってはかな
り珍しい光景だった。

「あ、マジか。武長まで黒髪か」

「だろ?!ゴリ、思うだろ?!」

「どうした、改心したのか?」

「それが教えてくんねーんだよ」

「うるっせーなあお前等ッ」

ぎゃいぎゃい騒いでいる中、何かが足りない気がしてハッとして丞の方を振
り向けば、丞は本を開いて一人熟読していた。
睦月は気付いていないようだが、鈴代は突然静かになる。
丞の方は鈴代の視線に気づいているのかいないのか、一緒に騒ぐ気はないよ
うだった。

「あれっ、丞、何ソレ?」

ようやく気付いた無神経な睦月が、ひょいと丞の読んでいる本を覗きこむ。
丞は睦月の方を振り返りもせず、短く答えた。

「参考書」

「うえ?!」

「えッ、マジで?!」

鈴代も思わず声を出す。
金髪の男子高生が参考書を手に静かに熟読しているのは、何とも奇妙な光景
だった。
だが、ゴリだけは平然としていた。

「おー、相模はお前等の中で唯一まともだからなあ」

「それ、まるで俺がまともじゃねェみたいな・・・」

「え、そう言ったつもりですけど?」

「ゴリ、このやろ!!」

飛びかかって来る睦月を、後鳥はゴリラのようなそのたくましい腕で払いの
ける。
ちくしょーと喚く睦月をよそに、後鳥はうんうん、と頷いて丞に感心してい
た。

「来週テストだもんなあ。まーとりあえず相模は3位以内を保持ってとこか
?」

「ですね」

目の前で交わされた軽い会話が、睦月と鈴代の脳内でエコーする。
呆然と硬直している二人を、何だコイツら、と呟いて後鳥は教室を出て行っ
た。
後鳥が出て行って三人になった後も、しばらく教室は静寂に包まれていた。
丞の参考書のページを捲る音だけが響く。
睦月と鈴代は顔を見合わせる。

サンイイナイ?

どういう意味ですか?





「ま・まさか丞がそんなに頭良かったとは・・・」

「3位以内って、何位だろ?!」

教室の端で、鈴代と睦月はそわそわと落ち着きなく弁当を口の中にかきこん
でいた。
当の本人は昼休みが来たとたん、どこかへ消えてしまった。
おそらくはコンビニに昼飯を買いにいったんだろう、と睦月は推測している
が、今日の不機嫌な様子を見ると定かではない。

「でも、1位は白鳥だし」

「あ、そっか。じゃ、2位?!」

「いや、2位は違う」

途端に睦月の顔が険しくなる。
鈴代はぽけっとしていると、睦月は何かを見つけてハッと息を飲む。
それを見て睦月の視線を追ってみると、その先には見覚えのある男がいた。

「あ、弟くんじゃん」

「あいつ・・・頭いんだよ」

なるほど。2位は霜月くんか。
睦月の弟である霜月は、教室の入り口で白鳥美海と話していた。
見たところ別段楽しそうというわけでもなさそうで、委員会の話ではないか
と思うのだが睦月はくそっと、忌々しげに呟く。

「あいつがライバルなんて・・・俺、勝てねーよ」

「何で?」

「何でって、頭良し、顔良し、運動神経良しだぜ?!」

「顔良しってあんた、自分と同じ顔じゃん」

「ちげーよ、あいつは『クール』が売りなの!クールでカッコいいのがモテ
てんの!俺のどこがクールだよ?!」

「自分で言うなよ・・・」

あぁ・・・と落胆の声を漏らして睦月はぐったりと机に伏せる。
そこまで霜月との差を深く考えているとは思っていなかった鈴代は、うなだ
れる睦月の様子を意外そうに見つめる。

何だか似てるな。

ふと、思ってしまった。
今の鈴代と睦月の状況は、似ている気がする。
ライバルと自分が全てにおいて正反対で、敵いそうにない相手だという事
が。

「・・・頑張れよ。私も頑張ってんだから」

「わかってっけどさー・・・って、え、何だって?」

「何でもねーよ」

「お前何頑張ってんの?」

「何でもねえって!」

鈴代はしつこく詰め寄る睦月の口に卵焼きを突っ込む。
むせて涙目になっている睦月を尻目に、鈴代はふと教室の入り口に目をや
る。
すると、菓子パンを手に帰ってきた丞を白鳥美海が引き留めている。

天才3人組だ・・・

白鳥美海が最初から違う世界に住む人だって事は知ってた。
けど、丞がまさかあっちの世界の住人だったなんて、考えた事もなかった。
思い返せば、何故か丞はいつも補習を受けてなかったし、先生に呼び出しく
らうこともなかった。
考えてみれば、丞は鈴代とは全然違ってた。
でも、ずっと一緒にいたから、自分と同じだと、勝手に思ってた。

私が真面目になったら自分だけが不良だなんて・・・
こっちの台詞だよ!!

鈴代は心の中で、丞に吐き捨てる。
届くわけがないのに、丞がちらりとこちらを見た。
目が合う。
思わず、逸らす。
もう一度丞の方を見たけど、丞はもうこっちを見てはいなかった。





「・・・はあ?今、なんつった?」

「だから、次のテストで1位とれば、白鳥に近付けるかなと思って」

きらっきらの眩しい笑顔でそう言う睦月を、鈴代は哀れな目で見つめる。
いつもは3人で歩くこの通学路も、丞は今日は図書室に残るらしく睦月と二
人で帰っている。

「睦月・・・そこまで馬鹿だとは思ってなかったよ」

「何?!お前に馬鹿とか言われたくねーよ!」

「もっと現実的に考えてみなよ!!1位って何?1位って!!」

「てっぺんだよ!!てっぺん!!」

「あんたねえ・・・普段から勉強してる人にだって1位なんて夢みたいなの
に、私達なんて夢のまた夢じゃん」

「夢のまた夢でも努力すりゃなんとかなるよ、きっと!!」

その睦月の笑顔を見て、こりゃダメだと鈴代はため息をつく。

「睦月って、ポジティブ馬鹿だよな」

「何だよ、それ」

「馬鹿の中の馬鹿って事」

「何だよそれ!」

でも、睦月のこのアホさ加減が、落ち着く。
自分と同じなんだって、安心する。
睦月だけは、私と同じ世界にいる。
睦月のその明るい馬鹿が唯一、私の世界を救う気がする。
鈴代が思わずふっと微笑むと、つられて睦月も笑った。

「丞に勉強教えてもらおっかなー」

「まあ、せいぜい頑張りな」

「何だよう。鈴代は頑張らねーのかよ?」

「まあ、別に頑張る理由もないし・・・」

「え、鈴代は別に真面目になりたくねーの?」

真面目になりたいっつっても、さすがに1位は無理だろ。
心の中でツッコむが、口には出さなかった。
まだ、真面目になりたいなんて、睦月には言えない。

「よっし、帰ったら勉強頑張りMAX!!」

「やっぱアホだこいつ」

「鈴代も帰ったら勉強しろよー」

「しないよ」

帰ったら、なにしよう。
そう思った時、何故か丞の姿が脳裏をよぎる。
いつもなら、丞の家でゴロゴロして勝手にゲームして勝手に漫画読むんだけ
どな・・・
でも丞は、図書室だし。
なんか、怒ってるし。

「・・・ちょっと睦月、さき帰ってて」

「え、何?どしたの?」

「ちょっと、忘れ物!」

鈴代はぽけっとする睦月を置いて、歩いてきた道をダッシュで戻る。
走ると、長いスカートが太ももにひっついて気持ち悪い。
跳ねるように揺れる髪が黒いのにも、まだ慣れてない。

ロンスカなら黒い髪の方がいいって言ってくれたのは、丞だ。
多分、丞はわかってる。
何も言わなくても、私が真面目になりたい理由、わかってる。
だから、言わくちゃいけなかったんだ。
自分の口から、言わなくちゃいけなかったんだ。

夕焼け空も、闇に塗り潰されていく。
やっと、校門に辿り着く。
荒い息を整えて一息ついていると、図書室に明かりがついているのが見え
た。
鈴代は大きく息を吸って、もう一度全力で駆けだした。
階段を急いで駆けあがって、廊下の角を曲がる。
そしてやっと、図書室の前まで辿り着いた。

何で緊張すんだろ。

走って、心臓がバクバクいっているせいかもしれない。
そう思うことにして、鈴代は何となく物音をたてないよう静かに図書室の扉
を開けた。
図書室は鈴代とは無縁の場所だと思うかもしれないが、実は授業をサボるの
に結構利用していたりする。
見慣れた本棚の通路を足音をたてないよう、そっと歩く。
たいてい司書が留守のこの図書室は、いつも通り今日も留守のようだった。
その時、本棚の向こう側から誰かの声が聞こえた。

「話って、何?」

聞き覚えのある声だった。
けど、丞じゃない。
誰だったかな、と記憶をたどりながら、そっと本棚の向こうを覗く。

あ、睦月の弟だ。

霜月の姿をはっきりと視界にとらえる。
隠れる必要もない気がしたが、ここまで来ると今更出て行きづらい。
鈴代は息をひそめたまま、本棚の向こう側の霜月をじっと見つめる。

「あのね」

その声に、鈴代はハッとする。
そっと、音をたてないように身を乗り出す。
まさか。
しかし、霜月と向き合っていたの人物は、鈴代の予想通りの人物だった。

「私、しーちゃんが好きなの」

本棚の向こう側で、白鳥美海はそう言った。