第八夜              魔女の村





「不気味な月ですね・・・」

三人は同時に空を見上げ、紅い月を目にする。
そして同時に目を逸らし、ため息をつく。
木々が辺りを覆い尽くし、道を行けば結構な頻度で人の頭蓋骨が転がっている。
何故だ、わざとか、と問いかけたくも、三人は口には出さなかった。
その時、モニカが急に立ち止まる。

「・・・今、音がしなかった?」

「え?」

モニカが目を閉じて、耳を澄ます。
アリアはそれを見て、自分も感覚を鋭く研ぎ澄ます。
音、は聞こえない。
けど、何か気配が近づいてくる。
一つじゃない。

「賢者だ・・・」

何者かの呟きに、三人は素早く後ろを振り返る。
そこには、黒いローブを羽織った不気味な集団がじっとこちらを見つめていた。
深くフードを被り、足元まである長いローブで性別さえもわからない。
だが、危険な匂いがした。

「走れ!」

アリアの声で、三人は一斉に走り出す。
黒いローブの集団は、無言で三人を追って来る。
しかし、アリアは走りながら、背後から足音が聞こえない事に気付いた。
ただ、ローブが茂みにかすれる音だけは聞こえる。
アリアが走りながらそっと振り向くと、黒いローブの集団がまるで滑るようになめらかにこちらへ近
づいて来るのが見えた。
アリアはその不思議な光景に目を奪われ、前方での出来事に気付かなかった。

「アリアさん!」

リーの声にハッとして立ち止まったが、少し遅かった。
アリアは前方に現れた同じ黒いローブの集団の中へと転ぶように引きずり込まれた。

「アリア!」

モニカの声がやけに遠くに聞こえる。
黒いローブに揉みくちゃにされて、アリアは息ができずに必死にもがく。
もがいて、もがいて、急に視界が明るくなる。

「痛ッ」

突然、地面に落ちた。
痛みを感じる暇もなく、アリアは素早く立ち上がって警戒しながら辺りを見回す。
だが、先ほどの黒いローブの集団はどこにもいなかった。
そこは、森と古ぼけたレンガ造りの住宅街との境界にある空き地。
草が覆い茂るだけの寒々しい景色に、アリアの見覚えのある人物が立っていた。

「お前・・・今、どっから降って来た?」

訝しげにアリアを睨む男は、星羅だった。

「そんなの私にも・・・」

「下がれ!!」

星羅の怒号とほとんど同時に、アリアは星羅に胸倉を掴まれ、後方へ投げ飛ばされる。
空中で体勢を立て直し、なんとか地面に着地したが、アリアは前方にいる星羅に向かってすぐさま叫
んだ。

「突然何す・・・ッ」

しかし次の瞬間、星羅が一瞬にしてアリアの隣に吹っ飛んできた。
アリアが目を丸くしていると、砂ぼこりの中から星羅がアリアの方を睨んでいる事に気付く。

「チッ、お前の邪魔さえなけりゃ・・・」

「・・・あ?今、何っつった」

「黙れ」

「は?何だてめェ・・・あれ、お前、怪我して」

アリアが言い終わる前に、瞬間的にアリアの目の前に『何か』が現れる。
その『何か』が、人の顔だとわかる前にアリアは再び後方へ吹っ飛んだ。
辺りに爆音が響く。
星羅は忌々しそうに舌打ちをして、アリアを吹き飛ばした張本人を睨む。

「あれ、何で立ってるの?」

女は、柄は紫で生地はオレンジの派手な傘をくるくると回す。
星羅の冷酷な睨みを物ともせず、女は軽々しく微笑む。

「あー、さっき吹き飛ばしちゃったのはもしかしてキミの仲間?」

女は舌なめずりをする。
傘をリズミカルに回転させながら、星羅に歩み寄る。
ぼろぼろに破れている女のローブが風になびく。
星羅が瞬時に戦闘態勢の構えを見せたのを見て、女は微笑む。
しかし次の瞬間、その女は突然吹っ飛んだ。

「悪趣味なローブ」

アリアはぼそっと呟き、乱れた黒髪を肩の後ろに払いのける。
砂まみれの手を払って前方で舞い上がる砂ぼこりを見つめる。
案の定、砂ぼこりからはくるくると回る傘が現れた。

「今、悪趣味って言った?」

砂ぼこりの中で、女の笑顔が引きつる。
アリアはその笑顔に、微笑み返す。

「言った。」

その瞬間、再び空き地に爆音が響き、濛々と砂ぼこりが舞う。
星羅は素早くその爆風の中から抜け出して、木の上へ避難する。
真上から、オレンジ色の傘を視界にとらえる。
続いてアリアの姿を探していると、背後から声がした。

「その怪我、大丈夫なわけ?」

星羅が驚いて振り向くと、同じ木の枝にアリアが立っている。
背後から星羅を覗きこむように、星羅の腹の傷を見ていた。
白いシャツが、紅に滲んでいる。
星羅は黒いコートで素早くその傷を隠した。

「何でもねぇよ」

「ふーん。あっそ」

星羅のこめかみがぴく、と引き攣るのが見えた。
しかし、星羅はアリアの方には目をやらず、あの女から目を離さなかった。

「・・・足、引っ張るなよ」

「こっちの台詞」

そう言うと同時に、二人はふわりと宙に舞った。
下からこちらを見上げている女が、不気味に笑うのが見える。
その瞬間、星羅が横で印を結ぶのが見えた。

「バンエバー 防御の壁」

目の前に突然現れた透明な壁に、落下途中だったアリアは思い切りぶつかった。
星羅は器用にその透明な壁を蹴って、ふわりと地上へ降り立つ。
ピキ、とアリアのこめかみに細い血管が浮かぶ。

「てめェ・・・この最中に嫌がらせか」

アリアはその透明な壁の上に立つと、その壁ごしに地上の星羅を見下ろす。
すると、アリアはその透明な壁の裏側に、何か変な物がはりついている事に気が付いた。
透明な、でもよく見ると薄い黄緑色の粘膜のような物体。
しかし、アリアがそれをよく確認する前に急にフッと透明な壁が消えた。

「うわっ」

突然の事に、アリアは尻から地面に落下した。
それを冷たい目で星羅が見ている。
あきらかに蔑まれている事を察したが、戦いの最中だったのでアリアは苛立ちはしたが何も言わなか
った。
次の瞬間、何を見たのか星羅は地面を蹴って、飛び上がる。
アリアも素早く立ち上がったが、少し離れた先に立っているあの女は身動きもしていないし、武器さ
えも持っていない。
しかし、その時アリアの目の前で何かが太陽の光に反射した。

「!」

アリアは、とっさに上半身を反らして何かをかわす。
その時にアリアは、頭上を横切った何かに気付いた。

糸?

もしかして、さっき星羅のバリアに付着していたのはこの糸の先端だったのか?
星羅は別に、アリアへの嫌がらせをしたわけではなかったらしい。
アリアは上体を起こして、ふんと鼻を鳴らした。
すると、その時背後から迫る小さな気配に素早く地面を蹴って飛び上がった。
細い、黄緑色に発光する糸がアリアの元いた場所を横切る。
速い。

「上!」

どこからか聞こえた星羅の声に、思わず上を見上げる。
黄緑色の糸が一瞬見えた直後、糸はアリアを頭から足元まで一気に両断した。
遥か上空で、星羅が舌打ちをする。
星羅の口が「ヤラレタナ」と動いたのが見えた。
しかし、両断されたアリアはぽんっという音をたてて白い煙と共に消えた。

「くそっ、あの黒髪女」

傘を持つ女が呟く。
女の紫紺色の髪が、風になびいた。
女の髪に何かが触れる。
女はその瞬間、妖しく微笑んだ。

「ッ」

アリアが、素早く後ろへ退いた。
せっかくあの女の背後にまで迫ったが、勘付かれたようだ。
あの糸は、ただの糸ではない。
人の体をあれほど容易く両断したことから、ほとんどの物体を切り刻む事のできる殺傷力を持ってい
るようだ。
こんな砂ぼこりの舞う場所じゃなおさら、あの透明な糸は見えにくい。
くそっと、アリアは吐き捨てる。

「あの糸で指を切断されたらおしまいだ。印が結べなくなる」

頭上から声がする。
星羅の言葉に、傘をまわしながら女はクッと口角を引き上げた。

「その男、わかってんじゃないの」

「先遣隊の死体の指が、綺麗に切り落とされていたからな」

どうやら、星羅はアリア達と離れている間にきっちり調査をしていたようだ。
アリアはやっとまともに、傘の女と対峙する。
女は、この村に入って最初に出逢った黒ずくめの集団と同じ、全身を覆うローブをかぶってはいる
が、フードはかぶっていない。
紫紺色の髪は、足元に及ぶほど長い。
見た目は若い女だが、その戦いぶりには貫禄があるように思えた。

「あなた・・・魔女?」

アリアの問いかけに、女はヒュウと口笛を吹いた。

「その通り。私の名は、オルネラ」

オルネラはそう言いながら、両手を前に突き出した。
両手の指先から、細い糸が繋がっているのが見えた。
アリアはハッとして、下がろうとしたが遅かった。
四方を糸に囲まれている。
アリアは舌打ちして、オルネラを見つめる。
オルネラは微笑んだ。

糸が一斉にアリアに向かう。
アリアは、その最中目を閉じて、まるで祈るように両手を胸の前で合わせる。
そしてアリアが目を開いた次の瞬間、アリアが離した手と手の間に白い刀が現れた。

煌めきが、見えた。

瞬時の出来事に、オルネラは目を見開いた。
気付けば糸が、全て断ち切られていた。
アリアは刀を一振りして、刀身を撫でる。

「刀の前で、あなたの糸はただの糸に過ぎない」

常に笑っていたオルネラが真顔で、刀を構えたアリアをしばらく睨む。
アリアが地面を蹴ったのを見て、オルネラは素早く傘を閉じて剣のように構えた。
アリアの刀を、オルネラは傘で受け止める。
アリアをはじきかえしたが、アリアは素早く体勢を立て直して再び斬りかかって来た。

「ッ」

アリアは一瞬、頬に触れた糸に素早く後ろへ退いた。
オルネラは再び、フッと笑みを浮かべる。

「刀は2本無いもんね」

オルネラの背後で無数に蠢く糸を見て、アリアは苦虫を噛み潰した表情を見せる。
そういえば、星羅はどこへ行ったんだ、と探す前にオルネラが動いたのでアリアは視線をオルネラに
戻した。
見たところ傘はただの傘のように見えるが、刀の攻撃を受けとめられる程の強度を持っているという
事は、身構えておいた方がよさそうだ。
しかし、糸の前では接近戦に持ち込むのは厳しい。
糸を断ち切っている間に、傘でなんらかの攻撃を受けたら防御できない。
刀を振り回しながら魔法をつかうのは、隙ができやすくリスクが高い。
まだ、相手の能力は未知数だ。
魔女の能力が、糸だけだとは思い難い。
くそっ、と吐き捨てるように呟く。

「っ・・チッ」

オルネラの傘が、アリアに向かって振り下ろされる瞬間、剣に変わった。
思いがけない重さに、アリアは顔をしかめる。
糸が迫って来ているのがわかっているのに、動けない。

「!」

背後で、風が吹いた。
同時に糸の気配が消える。
星羅か。

「退け!」

星羅の声に、アリアは力を振り絞り、オルネラの剣をはじく。
オルネラの剣が浮いた瞬間、アリアは地面を蹴って後ろへ飛んだ。

「ザファラ 拘束の檻!」

星羅の声が聞こえた直後、オルネラを銀色の鋼が取り囲んだ。
そしてオルネラを拘束するように締め上げる。
やがて、鋼で出来た四角い箱の中に、オルネラは取り込まれた。

「・・・・うっ」

アリアはほっと息をついたが、その瞬間に左足に激痛が走った。
耐えられず、思わず地面に片膝をつく。
腿のあたりをみてみると、気付かなかったがオルネラの糸が貫通していた。

「何だ。怪我か?」

痛みに顔を歪めるアリアを、星羅が見下ろす。
腿の傷を手で隠して星羅を睨んだが、星羅は無表情でアリアの手を振り払った。
小さいが深く、意外に痛いその傷をじっくり観察して、星羅はアリアの傷に手を当てた。
星羅の手が、青白く光る。
珍しそうにまじまじと星羅の様子を見ていたが、やがて光は消えて、星羅は立ち上がった。
見てみると、傷は癒えて跡形もなくなっていた。
こいつ、医療魔法まで使えるのか。

「少し遅かったらお前の左足は綺麗に切り落とされていたかもしれないんだ、わかってんのか」

せっかく礼を言おうとしたのだが、それより前に非情とはなんたるかをアリアは星羅から学んだ気が
する。
ケッと思い切り星羅から顔をそむけ、感謝して損した、と心の底からアリアは後悔した。

「Vellinalore 解錠」

どこかから聞こえた声に、二人はハッとした。
振り向くが、そこには依然として檻しかない。

「光を司り 闇を司る 光を手にして 闇を操る」

オルネラの声だ。
同時に、星羅とアリアは戦闘態勢に入る。
静かな檻の中から、なおも声は聞こえる。

「光の神よ 闇の神よ 汝と共に永遠のあらんことを――――爆光」

次の瞬間、激しい爆発音と眩しい光がアリアと星羅を包み込んだ。

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