第六夜              相反するフレンチトースト





「おかえり、カエンヌ」

月が沈みかけ、反対の方角からは朝日がもうすぐ見える頃。
空の淵が、微妙な色彩に揺れている。
カエンヌは帰りの汽車の中で拭いきれなかった睡魔に目をこすりながら階段を上る。
長い長い階段を上りきってふと顔を上げれば、壁にもたれかかる黒髪の男がいた。
黒いブーツに黒いコート、黒い髪に黒い瞳、その姿は敵にも、そして味方にも恐れられている。

クレイシア最強の男、星羅。

「ただいま・・・どうしたんですか?こんな時間に」

「こんな時間って、もう5時だぞ」

「もうって・・・誰もかれも星羅みたく5時に起きるわけじゃないんですよ」

「今日は4時半に起きた」

「はいはい」

苦笑しながら、星羅の隣を歩く。
星羅も朝食を食べていないのか、二人の足は自然と食堂へ向かっていた。
特に星羅は用事があったわけでもないようで、カエンヌは今回の任務の詳細を星羅に話して聞かせ
る。
星羅は相槌を打つこともなく、黙ってカエンヌの話に聞き入っていた。

「それはもうひどかったですね。任務の移動手段はたいてい汽車ですから、あの乗り物酔いはキツい
でしょうね」

カエンヌはそう言って笑う。
しかし、何故か星羅はいつになく真顔だった。

「その新人は、どうだった?」

「え?アリアですか?」

星羅は頷く事もなく、黙ってカエンヌの返答を待っている。
カエンヌは不思議そうに星羅の横顔を見て、今回の任務を思い返すように廊下の天井を見上げる。

「そうですね・・・乗り物酔いの印象が強くてあまり覚えてませんが・・・・ああ、そういえばジン
と接触したみたいですよ」

「何?」

訝しげに星羅はカエンヌを見る。
カエンヌは辺りを見回して誰もいない事を確認して、囁くような小声で言った。

「逃げたそうです・・・お前と殺りあうのは楽しそうだから、後にとっとく、と言って」

「・・・ジンが認めただと?」

「みたいですよ。その場にいなかったからわかりませんが・・・でも、相当強い魔力の波動の衝突を
感じて、僕やオスカーがその場に駆けつけて・・・ただその時にはアリアは気を失って倒れていまし
たけど」

「・・・・・・・ふん」

どこか不機嫌そうに眉間に皺を寄せる星羅を見て、カエンヌがふっと微笑む。
螺旋階段を上っている最中、ふと下の方から声がして手すりから身を乗り出して見下ろしてみると、
そこにはアリアとモニカの姿があった。
汽車で酔ってぐったりしているアリアを、世話焼きなモニカが介抱しているようだが、何故かモニカ
の怒号が聞こえてくる。
それを見てカエンヌが苦笑していると、星羅が同じくしてアリア達を覗きこんだ。
そして何が気に食わなかったのか、こめかみを引きつらせて星羅は聞こえるはずもないアリアに呟
く。

「・・・・楽しみなこったな」

「それ、本心ですか?嫌みですか?」

その問いには、星羅は答えなかった。





「あんた、いつも朝はソレなわけ?」

「・・・・いや、バナナ食べてる人に言われたくないです」

「うっさいわね!今ダイエット中なの!」

モニカは乱暴にバナナの皮を剥ぎとり、両手食いで勢いよく食べる。
そんなに食べたらダイエットにならないのではないか、と思ったがアリアは口にはしなかった。
アリアはフレンチトーストを口に運び、静かにコーヒーを流し込む。
すると、アリアとモニカの向かい側に二人の男が腰掛けた。

「ここ、いいですか?」

にっこりと微笑むのはカエンヌだった。

モニカはケッとカエンヌの顔を見てバナナにかぶりつき、アリアはとりあえずこくりと頷いた。
すると、カエンヌが席についたときに同時にカエンヌの隣に腰を降ろした男を見てアリアはぎょっと
した。

「あら、おはよう。星羅」

「ああ」

モニカがひょい、と手を挙げたのに対して星羅は無愛想に軽く頷くだけだった。
そして星羅が今しがた口に入れたのがフレンチトーストである事に気付いて、アリアは再びぎょっと
目を見開く。
するとそれに気付いたカエンヌとモニカがアリアと星羅の顔を交互に見つめる。

「あら・・・・気が合うじゃない」

「二人共コーヒーですしね」

「たまたまでしょ」

「偶然だ」

アリアも星羅もむすっとしてしまい、早く食べてしまおうとせかせかとフレンチトーストを口に運
ぶ。
そんな二人を見て、モニカがくすっと笑う。

「まーまー仲の良い事で」

「は?」

「どこがよ」

明らかに互いに嫌悪を示す二人を見て、モニカがにんまり微笑む。
それが気に食わなかったのか、星羅がコーヒーを口にしながら呟いた。

「誰がこんな女と・・・」

その言葉はしかとアリアの耳に届き、頭にきたらしいアリアはコーヒーカップをテーブルに叩きつけ
た。
その大きな音に三人の目がアリアに集まり、中のコーヒーが跳ねる。
アリアは星羅を強く睨みつける。

「何だって?」

「別に。何も」

星羅は相変わらず静かにコーヒーを飲みながら、平然とフレンチトーストを食べている。
それを見てぴくっとこめかみが引きつり、無表情のアリアの眉間に皺が寄る。

「何か私に言いたい事でも?」

その言葉に星羅はことん、とコーヒーカップをテーブルに置いて、静かに目線をこちらにやった。
普段無表情の彼の顔にも不機嫌が刻まれていた。

「新入りは新入りらしく、大人しくしていろ」

「いつ私があなたの目に障るような事をしましたか?」

「新入りは」

星羅は突然、ガタンと大きな音を立てて乱暴に立ち上がる。
星羅はアリアを見下ろして、普通の人なら一生口が利けなくなりそうな凍てつくような眼差しで強く
アリアを睨みつけた。

「新入りらしく、黙っていろ」

星羅はいつのまに食べ終えたのか皿もコーヒーカップも空になっており、それをトレイの上に乗せて
さっさとその場を後にした。
カエンヌが苦笑しながら、食べかけの朝食をトレイの上に乗せて慌てて星羅の後を追って行った。
アリアはそれを見送った後、フレンチトーストにかじりついてコーヒーカップに残っているコーヒー
を一気に飲み干す。

「ぶはっ」

「・・・・・アリア、親父臭いよ」

「親父で結構!」

割れそうな勢いでアリアはコーヒーカップをテーブルに叩きつけ、鼻息荒く怒りを露わにする。
モニカは隣でそれを半分呆れたように、だが落ち着いた様子でアリアを宥めるように言った。

「まあまあ・・・許してやってよ。不器用な奴で、悪気は無いのよ」

「あれのどこに悪意を感じずにいられようか」

「違うのよ。ただ多分、あなたが新入りで急に使徒の証である黒いコートなのが気に入らないという
か・・・認めたくないのよ。星羅は完全な実力主義だから、あなたみたいにひょっこり現れてひょっ
こり使徒になってるのが許せないのよ」

「・・・・私、使徒なわけ?」

「そういう自覚の無いところも、星羅の気に障ったんじゃない?」

そんな事言われても、と口を尖らせるアリアを見てモニカは苦笑する。
むすっとしてフレンチトーストをかじるアリアの横顔をしばらく眺め、モニカは呟く。

「うーん、なかなか気が合いそうなんだけどなあ」

アリアはその言葉に冗談だろ、と言いたげに顔をしかめてモニカの方を振り向く。
すると、その時モニカの向こうに見知った顔がこちらに手を振るのが見えた。
アリアが手を振り返す事もせずぼーっと見ていると、男は微笑んでこちらに駆けてきた。

「おはよう、アリアにモニカ」

「えーと・・・」

「あら、アルド」

そうそう、そんな名前だった、とアリアはうんうんと一人で頷く。
忘れられていた事を察したらしいアルドは苦笑して、頭をかく。

「昨日は任務お疲れ。早速で悪いんだけど、また任務だ」

「短期?長期?」

「とりあえず、ざっとした説明は科学室で」

「科学室?」

アリアが聞き返すと、アルドはにっこりと笑って見せた。





とりあえず、廊下を歩いているときに聞いた話では科学室とは正式名称ではないらしいが、正式な名
前は長ったらしいので省略して科学室と呼ばれているらしい。
何故かその部屋の扉は重厚な金属でできていて、アルドが重そうにゆっくりと扉を押す。
その部屋の向こうから聞こえてきた大きな金属音と騒音に、アリアは耳を塞いだ。

「ごめんごめん。ここは研究室で、いろんな物を開発したり実験をしたりしてるんだ。説明はこっち
の部屋で」

アルドが何か言っているが、あまりの騒音にその半分程しか聞き取れなかった。
研究室で作業をしている人はみな白い作業服とゴーグルをつけて、それぞれやけに巨大なドリルやら
ノコギリやら物騒な物を持っている。
何をつくろうとしているのかさっぱりわからないが、とにかくこのゴーグルを付けている人みんなア
リア達戦士とは違う分野のスペシャリストなのだろう。
興味津々にその光景を眺めながらアルドに案内されてすぐ近くの部屋まで案内されたが、その間に様
々な機械の部品を踏んづけてしまったり蹴飛ばしてしまった気がする。
それくらい、研究室の散らかりようは半端なかった。
しかし、皆それぞれの実験に集中している為にアリアの存在にも気付いていなかったようで、それゆ
えに散らかっている事にも気付いていないのだろうか、と思った。

その部屋は、外の研究室とは大違いだった。
防音が完備されているのか、薄そうな扉なのに外の騒音は全く聞こえない。
壁一面が書物で覆われているので妙な圧迫感を感じて思った程狭くないはずなのだが、どうにも窮屈
に感じる。
また、研究室は部品やら得体のしれないもので散らかっていたのに対して、この部屋の床は書類だら
けだ。
そして、部屋の中央にあるアンティーク調のソファに座っていた人物に目をとめ、アリアはぎょっと
する。

「あら、星羅も?」

「そうだよ。今回の任務は、星羅とモニカとリー、そしてアリアで組んでもらう」

星羅の方もアリアと同じように思ったらしく、互いに一睨みした後思い切り顔をそむけた。
それを見て、アルドが苦笑する。

「あー・・・まだ仲悪いのね」

「むしろ悪化したいみたいよ」

「アリアさん、任務は初めてですけどよろしくお願いします」

「あー、ども」

ソファに座っていたリーが立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。
前にモニカと一緒に塔を案内してくれたリー・オウという少女だ。
アルドにソファに腰掛けるよう促され、アリアとモニカはソファに腰掛ける。
もちろんだが、星羅とアリアはそれぞれ反対の端に腰掛けた。

「今回は結構大規模な任務でね・・・実は既に戦士を数人派遣してあるんだが、どうにも収まりそう
にないみたいでね。昨晩要請があって、君達をヘルプで派遣する事になった」

アルドが指を鳴らすと、四人の腿の上に分厚い資料が現れる。
背表紙も分厚さも、前の任務の時と同じだった。

「北のエンセレッタ地方のベリナ族とロア族の紛争が肥大化し、周りの地域にも被害が及んでいる
為、君達にはその紛争の仲介となって終結させて欲しい」

「・・・・それと複製とどういう関係があるんだ?」

アルドは向かいにある一人用の回転椅子に腰掛けて、机に肘をつく。
机の上にある一枚の書類を見て、アルドはアリア達の方を見た。

「ベリナ族とロア族からは、どうしてか初期化による被害者が一人も出ていないんだ。前々から調
査したかったんだけど、ベリナ族もロア族もよそ者の干渉を嫌うんだ・・・・それで今回は、この
紛争を口実に君達に乗り込んで調査をしてもらう」

四人はそれぞれ頷き、ソファから立ち上がる。
部屋から出る際に、アルドが思い出したように注意事項を口にした。

「ベリナ族とロア族は、バルト国建国時からある古い民族だ。古来より代々伝わる特殊な魔術をつ
かうと、聞いた事がある。だから、くれぐれも気を付けて」

アルドのその忠告めいた言葉が、妙にアリアの耳に残る。
忘れてはならないような、重要な事のような気がした。
ただの勘だから、信用はできないが、妙な胸騒ぎがした。
だが、それもアリアは汽車に乗るとすぐに忘れてしまった。





紅い月。
不気味なその空に、星は無い。
月光に照らされて月と同じ色の雲が、黒い空に漂っている。

「・・・魔女・・・だ・・・・・・」

戦士が一人、息絶える。
身にまとうコートは元が何色がわからないほどに血色に染まり、何故か彼の両手は指が一本も無か
った。
死に際に彼が口にした言葉は、味方の誰にも届かない。
既に其処に、彼の味方はいなかった。

「ムフ」

女は、目の前に広がる広がる血の海を見て微笑む。
趣味の悪いローブを羽織り、奇妙な格好の彼女は雨も降っていないのに傘をさしている。
自分の指についた返り血を、一本ずつ丁寧に舐めとる。

美味びみ♪」

足元の辺りまで伸びる長い髪の毛は、腐った葡萄酒の様な紫紺色をしている。
しかし、その髪もところどころが返り血で赤く染まっている。
愉快そうに歩いていた彼女はふと足を止め、足元の死体を見下ろす。

美味おいしそ♪」

彼女の顔は、笑っているようにも、歪んでいるようにも見えた。

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