第五夜              月夜に捧ぐ唄





「これは・・・・一体、どうなってるの?」

何度見ても、それはただの窓だった。
中を覗けば、窓の向こうの部屋には誰もいない。
なのに窓に映るのは、おそらくはこの街の住人達。
すると、窓に映る住人達がこちらに気付いたようで慌ただしく近づいてきた。
口を開けて何かを言っているが、全く聞こえない。

「・・・・何かの魔法みたいね」

「窓の中に閉じ込められてるって事?」

「いや・・・・」

アリアとモニカは急いでその民家の中へ駆け込んだ。
そこには誰もおらず、だが部屋の中からも窓を覗けばそこに住人が映っていた。
モニカとアリアは手分けして、家の中の他の異変を探した。
その時、モニカが隣の部屋で叫んだ。

「アリア!!こっち」

アリアが急いで駆け付けると、モニカが指差していたのは壁に立てかけられていた全身鏡だった。
そしてその鏡には、見えるはずのアリア達の姿はなく、そこにははっきりと住人らしき少女の姿が映
っていた。

「鏡・・・?」

「きっと、鏡の中に住人達は閉じ込められているんだわ」

「ジンの仕業?」

「いいえ、逆よ。この街には何かの手がかりがあって、それを奪おうとするジンから守ろうと、事前
に仕掛けられていた魔法が自動的に発動したのよ」

「事前にって・・・・」

「複製の力よ」

モニカは鏡にそっと触れたが、表面上はただの鏡である事にかわりはなかった。
鏡の裏を見ても、持ち上げてみても、どこにも何の仕掛けも見られない。

「だめだわ・・・・どうにかして鏡の向こうの世界とこちらの世界が干渉できれば・・・」

するとその時アリアは、黒と青の模様をした掌くらいの大きさの蝶がひらひらと部屋の中を漂ってい
るのに気付いた。
すると同じくそれに気付いたモニカは特に驚きもせず、その蝶を自分の肩にとまらせる。

「・・・・何、それ」

「通信機よ。クレイシアの」

これが?とアリアは蝶を顔を近づけてじっと見つめる。
すると、蝶の翅からオスカーの声が聞こえてきた。

『モニカか?』

「ええ。何か見つけた?」

『ああ・・・街のはずれに大きな湖があるんだけど、まるで氷が張ったように水の中に入れないん
だ』

「ほんと?こっちも、鏡の中に街の住人らしき人達がいるのを見つけたわ」

『マジか。わかった。もうちょっと調べてみる』

「ええ。こちらもそうするわ」

通信が終わると、蝶はモニカの肩から飛び立ち、ひらひらと部屋の外へと飛び去った。
それを、アリアと同じように鏡の向こうから少女がじっと興味津々に見ていた。

「聞いてたわよね?どうやら湖にも関係がありそうだわ・・・でも水の中に入れないんじゃ、調べよ
うがないわね」

「・・・・・唄は」

「は?」

アリアは呟くように、それでも確信を持っているように力強く言った。

「唄に、ヒントが隠されているかもしれない」





「唄ってこれ?」

モニカが見上げるのは、壁にかかった額縁の中の歌詞。
代々伝わっている物のようで、額縁も額の中の歌詞の用紙もだいぶ昔の物のようだった。

「ほとんどの民家にあった」

「・・・だから何よ。唄なんて、そんなどこにでもあるようなもの」

「でも、この歌詞の中の『銀色の扉』とか『対である』とか、鏡っぽい・・・」

「あ、確かにそうねえ」

その時、突然どこかから綺麗な歌声が聴こえてきた。

銀色の扉の向こう
二つの月
天使の祈りのような光を
どうかこちらの世界まで
届けておくれ
あなたの対である私の元へ
その光を届けておくれ

アリアとモニカが振り返ると、鏡の向こうで少女が歌っていた。
目を閉じて、静かに、誰かに届けるように。

「どうして・・・・声は聞こえないはずよ」

「この唄だけは聴こえるみたい・・・きっと」

モニカとアリアは顔を見合わせ、頷いた。
壁から額縁を取り外し、机の上に歌詞を広げて二人共かじりつくようにじっくり見た。

「『こちらの世界』っていうのは鏡の向こうの世界の事かしら」

「おそらく・・・『天使の祈りのような光』って、何かしら」

「それさえわかればねえ」

「あれ、これ・・・」

アリアがふと、何かに気付いた。
アリアは目をこらして、歌詞を見つめる。
歌詞の一番初めより少し前の行に、何か染みのような跡があった。

「ここ、何か文字があったみたい」

「どれ?あ、本当・・・・でも、他の歌詞はちゃんと見えるのに、ここだけ見えなくなるっておかし
いわ・・・これも複製の力かしら」

「複製の力って、ここまで及ぶものなの?」

「わからないわ。未知数だもの」

「あ・・・・ちょっと待って」

アリアは突如、何かに閃いたようでモニカの手から歌詞を奪い取って立ち上がった。
モニカは驚いてアリアを目で追うと、アリアは歌詞を持って鏡の前に立っていた。

「何やってるのよ、アリア。鏡の前に立っても、こっちの世界は映らないんだから・・・」

「見て、コレ」

モニカがアリアに歩み寄ると、アリアが歌詞を持っている体勢と同じようにあの少女が鏡の向こうで
歌詞を持ってこちらを向いていた。
その少女の持つ歌詞には、染みではなく、言葉が書かれていた。

月光

他の歌詞の文字と同じような字体で、最初にそうかかれていた。

「『月光』・・・これがこの唄の題名なんだわ」

「天使の祈りのような光って、きっと月の光のことよ!」

思わず大きな声をあげてしまい、アリアはハッとして口を噤む。
それを見て、モニカは少し驚いていたが、やがてふっと微笑んでアリアの背中を勢いよく叩いた。

「さ、オスカー達と合流するわよ!」





太陽が沈み、月が昇った。
今日の月も昨日と同じ、満月だった。
月光だけで明るい今夜は、絶好の機会だった。

四人は大通りに立っていた。
モニカが、あの民家から持ち出した全身鏡を月に掲げる。
鏡の中では、少女が大通りに立って不安そうにこちらを見ている。

「・・・・・何も起きませんけど」

カエンヌのその言葉に苛立ちを感じたのか、モニカは無言でカエンヌのふくらはぎを蹴る。
しかし、カエンヌの言うようにいくら鏡に月光をあてても、鏡にアリア達の姿が映る事はなかった。

「もう!だったら何だって言うのよ!」

「モニカの勘違いだったんじゃないですか」

「だってこの歌詞どう考えても鏡の事言ってるじゃないのよ!」

「だからそれがモニカの勘違いだったんですよ」

「カエンヌてめーだってその答えに乗ってたじゃねえかよ!」

「口調がオッサンになってますよ」

「今なんつったコラァ」

「あのー」

ずっと入りこむタイミングを窺っていたらしいアリアが地味に手を挙げる。

「女の子がすごいこっち見てるんですけど」

その言葉に、三人は全身鏡をアリアに持たせて鏡を表側から覗きこんだ。
すると、今朝の少女が何かを持ってこちらを見ている。

「何持ってるんだ?」

「紙・・・・ですね」

「歌詞じゃなくて?」

「地図みたい」

アリアの言葉に、三人はよく目を凝らす。
それはだいぶ古くて文字が薄くなっているが、確かに地図だった。

「・・・・で?」

「何かを僕達に伝えようとしてるんじゃないですか?」

「何かって、何よ」

「うーん・・・・あッ?!」

オスカーの声に、三人はオスカーの顔を振り返る。
オスカーは少女の持つ地図を凝視して、地図の中の何かを指差した。

「コレ・・・・あの湖だよな?」

「それがどうしたっていうのよ」

「あ、湖の名前が・・・」

地図上で示された湖の場所には、薄い文字で『鏡湖』と書かれていた。
四人はそれを見て、互いの顔を見合わせる。

「鏡湖・・・・もしかして、月光を当てるのは鏡じゃなくて」

「湖だわ」





五人が急いで湖に向かうと、湖には大きな満月が幻想的に映っていた。
空にある月と、湖に浮かぶ月。
そこには、二つの月があった。

「二つの月・・・・歌詞の中にあったわ」

「おっ、水に触れられるぞ」

オスカーが腕まくりして湖に腕を突っ込むと、ちゃぷんと小さく水しぶきをあげてオスカーの腕は湖
に浸かった。
オスカーが湖から腕を引きぬいた瞬間、隣で「うわあっ」とモニカの悲鳴が聞こえた。
かと思うと、モニカは派手に水しぶきをたてて湖に頭から落っこちた。
一体何が起こったのか、とモニカの立っていたところを振り向けば、カエンヌが涼しい顔をして微笑
んでいた。

「あがってきませんね」

カエンヌはどこか楽しそうにそう言う。
オスカーがオイオイ、と呆れ顔で湖を覗きこむ。
最初はぷくぷくと小さな泡が湖の底から昇って来ていたが、やがてそれも途切れた。
すると、オスカーが両方の腕をまくって大きく息を吸い込んだ。

「先、行くぜ!」

「は?」

オスカーはそう言うと、腕をまっすぐ上にあげ、頭から綺麗に湖の中へと飛び込んだ。
オスカーのたてた波紋が消えた後、カエンヌが微笑む。

「僕等は普通に行きましょうか」

「・・・そうね」

カエンヌは紳士的にアリアに手を差し出す。
だが、アリアは苦笑して丁寧にそれをお断りして湖の中へ歩いて行った。





「こらあーッ!!カエンヌー!!」

アリアが岸に上がった途端、モニカが勢いよく突進してきてアリアは再び湖の中へと沈んだ。
慌ててオスカーがモニカを引きはがして、アリアはぜいぜいと岸で荒い息を整える。

「あら?アリア?」

「何やってるんですか?」

「てめェコラァ何やってるんですかじゃねー!!」

「何を怒ってるんですか」

「私を突き落としただろーが!!」

やんややんやと背後で騒ぐ中、アリアは辺りを見渡す。
戻って来たのではないかと思う程、何もかも同じ鏡の向こうの世界。
同じ月、同じ空、同じ街。
その時、ふとアリアは視線に気づいて街の方を見た。

「あ」

視線の先には、あの少女。

「君・・・」

少女はしばらくアリアを見つめた後、どこかへ走り去ってしまう。
アリアは慌ててその後を追う。
それに気付いたオスカーが何かを言っていたが、待っている暇はなかった。
すると、少女を追っているうちにやがて街の大通りに出た。
行き交う人々、夜にもかかわらず絶えず流れる音楽。
アリアはその光景に驚いたが、これこそ本当の街の姿なのだろう。
しかし、はっと気付けば少女の姿はもう無い。
アリアがしまった、と頭をかいているとオスカー達が後から駆けて来るのが見えた。

「どうしたんだ?」

「あの女の子が・・・」

「黒い軍服を纏いし使徒の皆様」

気付くと、街の音楽が止んでいた。
ふと見れば、街の住民達はみなアリア達を見ている。
そしてその人々の集まりの中からアリア達の方へ歩み寄って来たのは一人の背の低い老人だった。

「どうかこのままお引き取り下さいませ」

「・・・・何故?」

アリアは眉間に皺を寄せて、老人を見下ろす。
それが厳しく睨むように見えたらしく、モニカがアリアの腕を引いて下がらせた。
代わりに世渡りが上手そうなカエンヌが一歩前へ出る。

「御存知でしょうが、私達は複製の手がかりを探しています。この街で起きた奇怪現象は・・・」

「ここに複製の手がかりは在りませぬ。どうか速やかに、お引き取り頂きます様」

そう言うと、老人は皺だらけの顔に反論は一切受け付けないと言った強気の表情を見せ、街の人々と
共にどこかへ去って行った。
その場に残されたアリア達は、ただ黙ってその場に突っ立っていた。

「・・・・クレイシアって、嫌われてんの?」

「そんな事ないわ。バロック王は複製の調査・捜索にとても尽力している事が、国民からは絶大な支
持を得てる。けど、バルト国を発展させる為の政策でバロック王は工業や産業に力を注いだ反面、芸
術面はあまり重視しなかった。かつて音楽の都と言われたこの街がこんなに寂れてしまったのも、そ
の政策が大きな原因よ」

「だから、この街の人々は街を見捨てられたように感じたんだろ・・・だからバロック王の事をよく
思ってなくて、国家直属の俺等のこともよく思ってないってことさ」

モニカは深くため息をつく。
アリアも意気消沈したように、肩を落とす。
街の住民の協力が得られないなら調査続行は難しい。
それに、住民が望んでここにいるようならクレイシアがこれ以上干渉する理由は無い。
任務終了、というわけか。

「帰りますか」

カエンヌの声に、三人は頷いて踵を返す。
すると、湖のそばにあの少女が座っているのが見えた。
アリア達の姿を見つけて、少女はハッとしたようにすくっと立ち上がった。

「あの・・・・・ご、ごめんなさい。大爺様は、村を大事に思っていて・・・その」

少女はしどろもどろで、無表情のアリアに少し怯えているようだった。
初めて聴いた少女の声は、あの歌声と同じで澄んでいてとても綺麗だった。

「私、コニーといいます。その・・・私、初期化<イニシャライズ>で母を・・・なくして・・・・
その」

少女の声は次第に震えだして、やがて肩も震えだした。
アリアはそれを無表情で見つめる。
泣きだすな。
無表情で、そう思った。

「母を・・・取り戻してほしくて。それを・・・・言いたくて」

コニーは、泣かなかった。
涙をのみ込むようにして、最後にアリアを真っ直ぐ見上げた。
最初のおどおどした様子が突然消えたように、その澄んだ真っ直ぐな瞳で見上げられてアリアは目を
見開いた。

「わかっているわ」

アリアが何も言わないでいると、背後からモニカが微笑んでそう言った。
コニーの目線はアリアの背後に映り、やがてコニーはほっとしたように微笑んだ。

「ありがとうございます」

コニーは、深く頭を下げてやがて街の方へと帰って行った。
その後ろ姿を月光が照らすのを、アリアは眺める。
するとモニカが呟くように言った。

「世界には、ああいう想いが数え切れないほど溢れてる・・・神から強さを与えられた私達は、それ
を叶える使命があるの」

まるで自分に言い聞かせるようなモニカのそれに、アリアは何となく頷いた。
ちゃぷん、とオスカーが湖に足をつける音がする。
波立つ水面の月が、歪む。
そこに映って揺れる自分の顔を、アリアは覗きこむ。

「・・・使命、か」

アリアは誰に言うでもなく、水面の月に囁いた。

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